2009年に休刊となった文藝春秋のオピニオン誌『諸君!』の巻頭を長らく飾ってきた匿名コラム「紳士と淑女」の傑作選。

完本 紳士と淑女 1980‐2009 (文春新書)
徳岡 孝夫
文藝春秋
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1980年代からソ連、中国共産党、日本社会党、北朝鮮、創価学会をはじめ国内外のニュースを鮮やかに斬って見せる独特の読み味を、こうして一冊の本で振り返ってみると、単なる面白味だけではなく、2012年の現在への痛烈なアイロニーの方がむしろ色濃く、慄然とさせられる。

アグネス・チャンがなぜ「朝日新聞」「朝日ジャーナル」で一方的に弁護されるか、お判りになりますか? それは朝日が日本のアグネス・チャンだからです。だから両者の間には親和力が働くのです。だってそうでしょう。朝日は一段と高いところに立って、日本を正しい道に進めるべく美しいお仕事をなさっています。虫も殺さぬ顔をして、実際「血を流しているのは朝日だけ」などと宣伝しちゃって、あれで結構、計算高いんです。ふた言目に「中国では」と言うところなど、アグネスとそっくりじゃありませんか。超一流のタレントだから、それゆえ強力なスポンサーがついてるから、いい気なもんです。現実認識が甘く、思った通りのことを言ったり書いたりする。手の汚れない仕事をしている自分を清純だと思い込み、世界人類を愛すと称し、庶民でないくせに庶民を気取ります。(1988年12月号)

ソニー会長盛田昭夫がコロンビア・ピクチャーズ・エンターテインメントを買収したのは、そんなに悪いことなのか? 仮に「アメリカの魂」を買う悪事だったとしよう。しかし商売は売り手と買い手があって成り立つ。「アメリカの魂」を日本人に売り払ったアメリカ人の行為はなぜ責められないのか。簡単に「金を使ってアメリカ人の魂を陵辱した」などと言わないでくれ。ズロース下ろして(下品なたとえで恐縮だが)さあどうぞと前を広げたのは何国人か? コロンビア・ピクチャーズは、売る者がいたからソニーが買った。それほど魂のこもったものなら、売らなきゃよかったのに。盛田と石原慎太郎の『「NO」と言える日本』に書いてあるのは当たり前のことばかりで、とくに騒ぐに及ばない。二十年以上前に、たとえば三島由紀夫はこう語っている。「ぼくは外国へ行くときは、必ず『ノー』という言葉を用意して行くんです。外国では『ノー』と言うのが三分の一秒でもお五分の一秒でもおくれたら、あとで自分がえらいめにあう。『ノー』と言うべきときには必ず『ノー』(大声で)と急いで言わなくちゃならん。日本じゃ『ノー』と言わなくても、あとでちゃんと始末がつきます」(全集補巻1 719ページ)イエスもノーもはっきり言うのは、人間として当然のことである。(1989年12月号)

韓国は恥を知れ。おたくは九六年の暮れにOECD(経済開発協力機構)に加盟し「わーい先進国になったぞ」とはしゃいだんじゃなかったか。あれは開発途上地域の経済成長に寄与することを目的の一つにするクラブで、欧米や日本が入っている。金を貸す機構であって、金を借りる人の入るべきクラブじゃない。通貨危機だと騒いで、IMF(国際通貨基金)に二百億ドルの支援を請い、さらに百億ドル程度の「日銀特融」をたのむと言ってきた。途上国学校を卒業する前にオトナの学校に入ったから、こういうことになる。もういっぺん学校に行き直してはどうか。韓国の不良債権は政府がその総額を発表できないほどヒドイらしい。もっと深刻なのは外貨繰りで、とにかく当面の決済に当てる外貨がない。だからIMFと日米に「何とかしてくれ」と泣きついて来た。隣家の不幸は気の毒だが、日本は援助するな。きっと煮え湯を飲まされる。「産経」(12月7日)の黒田勝弘記者によると、緊急支援の裏には韓国経済を食い物にしようとする日米の「陰謀」があると、ソウルの新聞は書き立てているという。支援要請のため訪日した林昌烈副首相に対し「日本政府は資金支援の独島(竹島)問題を関連させるとの立場を明らかにした」との報道もあるそうだ。むろん事実無根だし林副首相は繰り返し否定したが、効果は薄い。下司の勘繰りは、ウソをホントにしてしまうのである。そういう相手に金を貸せば、あとで必ず後悔する。日本の金融業も危機的なのだ。カネを借りたいなら、それなりの礼儀を守れ。礼儀どころか恥さえ知らぬ国には貸すな。(1998年2月号)

アメリカは変わっても、北朝鮮は変わらない。というより、変われないのが全体主義の宿命だからである。そして、倒れるところまで行って、倒れる。日本のサヨクは、そういう悲しくも空しい国に恋している。スターリンのソ連、毛沢東の中国、ホー・チ・ミンの北ベトナムに次々と恋してきて、どれもこれもパッとせず、最後に辿り着いた恋人が北朝鮮なのである。社民党党首などは「女性の権利のために闘う」と言うが、横田めぐみさんが日本女性の一人であることを知らないらしい。(2001年3月号)

去年の暮れから今年にかけ、日本に「聖地」が誕生した。それは日比谷公園の「年越し派遣村」である。信仰があつい「朝日」の「天声人語」(1月5日)によると「生活防衛を争点に、政治決戦の年が動き出す。野党の面々は派遣村で『政治災害』打倒を誓った」そうである。「朝日」はいつもの手で日本政府を倒そうとする側へと読者を誘導していく。聖戦(ジハード)はどこまで行くかと新聞を見ていると、大阪・高槻でタクシー強盗がある。捜査本部が捕らえたのは朝日新聞販売店のアルバイト店員(24歳)だった(毎日1月7日)。非正規労働者に頼る制度が悪ければ、まず大切な取引先である販売店にアルバイトを正社員にせよと指導すればよさそうなものを、言論と現実は平気で使い分けできるものらしい。新聞は、誓いの空しさ、すぐネタ割れすることを知らぬわけではないのに、わざと感動するのである。体制派より反体制の方が、新聞が売れると思うからである ー 売れないのに。(2009年3月号)

社会党が「自衛隊は独占資本擁護の暴力組織である」(昭和39年)と宣言したとき、われわれは歓呼拍手した。「防衛庁を廃止し自衛隊を解体する」と決めた「非武装・平和中立への道」(昭和43年)に喝采した。そのうち「自衛隊は違憲合法」と言い出した(昭和59年)のにはギクリとしたが、社会党はすぐに元の非常識に戻ってくれた。平成3年の「自衛隊の実態は違憲」(党改革のための基本方向)という確認に、われらは欣喜雀躍した。(1994年10月号)

政治学者の小室直樹が、飛鳥田一雄の無責任性を指摘している。「政権がわれわれに来ても、そんなものは受けとらない。自民党は実質的に過半数を制しているんだから、現在の政治の混迷は自民党の政策で救済すべきである」この発言を、小室は「ふざけるにもほどがある。汚職などと同日の談ではない」と評している。自民党が混迷に陥ったとき、起つべきは野党であり、野党がその政策で自民党の失政を救済してくれなければ、国民はだれに救済を待ったらいいのだろう、ほんとうに。(1980年1月号)

自民党の惨敗に終わった都議選のあと、テレビがインタビューした都民の相当数が「これまでは自民党に入れてきたが、お灸をすえてやろうと思って今回は社会党にした」と嬉しそうに語っていた。実に驚くべき日本的現象で、たとえばイギリスなどでは保守党にお灸をすえようと思って労働党に投票する有権者など、まず存在しないであろう。日本だけに特異な状況的投票態度として、これは注目に値する。そのうち日本には「お灸革命」が起るだろう。お灸をすえたと思った有権者が、逆に熱いお灸をすえられることになるのだろう。不思議な国である。少なくとも国際的ではない。(1989年9月号)

筆者の徳岡孝夫は、連載中ひたすら匿名と締切を守り、連日連夜新聞各紙を切り抜いては毎月のネタをかき集めていたという。そうして30年近く続いたコラムが克明に浮き彫りにしているのは、隣人たち(支那、朝鮮半島)の厄介さは今に始まったことではないのにそれを報じないマスコミが幅をきかせていた(いる)こと、そして今の政権与党は絶滅したはずの社会党そのものだった、という辛辣な事実ではなかろうか。