<< "Pooh," said Christopher Robin earnestly, "if I...if I'm not quite..." he stopped and tried again "Pooh, whatever happens,you will understand, won't you?" I like to think that Pooh understood. I hope that now others will understand too.>>
“The Enchanted Places” Christopher R. Milne

むかし、自分のサイトに『想い出に出来なくて』という題名のエッセイを書いたことがある。
そしたら、知り合いの女の子に「題名がキザ」と言われて絶句してしまったことがある。あの子は中身を読んでいたのだろうか。恐らくは、読んでいなかったんじゃないか……
で、今日話したいのはその中身について。


Article from: MSN産経ニュース日テレNEWS24
1996年9月9日、僕が20歳になる直前の、10代最後の夏休みのある日にバイト仲間だった大学の先輩がご自宅で惨殺されるという未曾有の事件が起こった。
僕を含め、人って絶対に死ぬんだし、誰もがそのことは受け入れなくちゃいけないんだけど、当時の僕はまだ、ハイそうですかと認められるほど大人じゃなかった。それに、殺人事件だなんてテレビの中の出来事であって自分の知り合いや身の回りで起こるものじゃなかった。
でも、その土砂降りのようなワイドショーや新聞の連日の報道は、確かに彼女の殺害を伝えていた。
にも関わらず、現実感はてんで湧いてこなかったし、バイト先の会社にK察が押しかけて事情聴取させられてリアルで小一時間問い詰められたりもしたけど、本当に彼女はいなくなっちゃったの? だって9月から留学するって言ってたじゃん? っていう疑問、っていうか認めたくない気持ちは募るばかりだった。
でも、お葬式に行ってみたら、確かに彼女は横たわっていた。
変わり果てた姿、なんて使い古された形容のほかに、何も頭に浮かんでこなかった。放心状態ってこういうことを言うのかって後になって思った。
今日で13年も経ってしまったけど、つい昨日のことのように感じもする。あの頃、2歳年上の、21歳の彼女が随分大人のように思えたけど、今はもう、彼女の年齢をとうに追い越してしまっている。
そして、悲しむべきことは、これだけの歳月を経てなお、犯人はまだ捕まっていないという現実。
時効まで、あと2年になってしまった。
残されたご家族は、凶悪犯罪の時効撤廃を目指す団体を立ち上げて当局に働きかけを行っておられるらしい。
http://www.jikou74.jp/
一体、何処の誰が、何の権利があって彼女から未来を奪うことが出来たというのか…
事件の後、暫くの間僕はこの件について話すことを控えていた。大学には好奇心丸出しの手合いも多かったし、僕自身は関係者といえるほど、彼女のそばにいる存在ではなかった。
でも、暫くして、自分の気持ちはどこかに書き留めておくべきだろう、歳月を重ねる毎に忘れ去られてしまう、風化してしまうことへの異議申し立ては必要だろう、と思って、あのエッセイを書いた。
それにしても、もう会うことも話すことも出来ないっていう現実に直面した時、彼女がどんな人なのか、どこに住んでるのか、ご兄弟がいるのか、どんな趣味があるのか、留学先で何を勉強するつもりだったのか、なーんにも知らなかった自分に気づかされた。
同じバイト先で、幾らでも話をする機会はあった筈なのに、今日なら明日に会えるって、勝手に思ってた僕は、自分がシャイで話し下手ということを言い訳にして、眼の前の人に無関心でいたのだった。
無関心ってのは、物凄く恥ずべきことだし、一生取り返しのつかないことだって、人が死ななきゃ気づかないのかよって情けない気持ちになりつつも、僕はその後、知り合った人たちに努めて関心を持とうと思うようになった。そして、可能な限り行動を伴おうと。
彼女のことを忘れずにいる為に、自分が出来ること、やるべきこととして、今でも続けてる。無駄に優しいとか、お節介が過ぎるだなんて時には言われながらも。
大切な友達とか仲間とか先輩とかスキな人とか、自分が気に留めている存在ってのは誰しも持ってるもんだろう。もしも、これを読んだ皆さんの中で、そういう周囲の人たちに寄せる想いがあるのなら、
時々は、自分の気持ちをしっかり伝える機会を持って欲しいと思う。
何か特別なイベントを仕立てるってんじゃなくて、たまには食事に誘うとか、時間がなければメール書くだけだっていい。ありふれた料理でも、他愛のない話でも、当たり前の日常こそが何よりも美しいって、過ぎた後じゃないと気づかないし、過ぎた後じゃ、何も出来やしないから。