僕は海外出張中に家族や友達に手紙を書くことが間々あって、切手と投函はホテルにお願いすることもあるんだけど、時間があれば郵便局に足を運ぶようにしている。ホテルの係員が、代金とチップだけせしめて送ってくれない経験もしているから。

そして、郵便局で気づくのは、日本もそうだけれども切手は現金でしか買えないということ。

これだけクレジット・カードが発達した世の中で、どうして現金にこだわるのかを調べてみたら、カードで商品を買った場合、決済が完了するまでその所有権はカード会社にあるから、切手のようなお金に準ずるものを買い、決済前に使ってしまうのは横領罪に問われる可能性があるということ。
それに、事業者がカード会社に払う手数料は利用者に転嫁できないルールになっているから、郵便局が負担せざるを得ない。公共サービスである郵便事業で、現金払いとの不平等が生じるのもまた小さくない問題なのだろう。

出張中、僕は殆どの支払をカードで済ませてしまい、現地通貨は全く使わずに済むことさえあるんだけど、確実に手紙を送りたければ、多少なり現金を持ち合わせる必要があり、それは確かに面倒ではある。
でも、あてにしていたことと、実際に起きていることの折り合いをつけてゆくのが渡世のしきたりなのだと思うし、自分が知っている便利な仕組みも万能ではないと思い知っていれば、ルールや制約に順応する備えが自ずとできてくるものだと思う。

最近、いわゆる意識高い系の若い人たちが、自分が不便な思いをしたり、思い通りにいかなかったことを指して「使えないシステム」「残念な社会」などと蔑んだり嘆いたりする光景を時々見かけるけれども、都合のいい理想を掲げて、何が何でも周りを見下してみせたところで、実際には、自分が知識に乏しく、ルールを知ろうともせず、現実との折り合いがつけられない、残念で使えない人物であることを、自ら喧伝しているだけでしかないと思うのだが…

 

「意識高い系」という病 ~ソーシャル時代にはびこるバカヤロー~ (ベスト新書)
ベストセラーズ (2013-12-27)
売り上げランキング: 95,420