日本銀行に勤務する筆者が、1964年に国際通貨基金の依頼でルワンダ中央銀行に出向、総裁として経済再建を司ることに。

ルワンダ中央銀行総裁日記 [増補版] (中公新書)
中央公論新社 (2014-07-11)
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昭和30年代に、これだけの情熱をアフリカの小国に傾けた日銀マンがいたことにただただ驚き、感動を禁じ得ない。
ベルギー、フランス、米国といった白人たちの思惑が交錯し、小さい社会での争いに終始する現地人たち… 旧植民地のライブ感は、学校では決して教えてくれないし、55の国と地域がある大陸を「アフリカ」というひと言でくくろうとするのは大きな間違いだと強調しなければならない。
 
私事に渡るが、ルワンダといえば昔の職場で、ルワンダ・ウガンダ間にまたがるプロジェクトのボンド(契約履行保証状:完工するまで人質として取られる手形の一種)が案件終了後もリリース(保証状を無効にする手続)されず、歴代のウガンダ駐在員や東京側関係者の怠慢で10年以上放置されていて、銀行に手数料だけ延々取られている状態だったのを、突然お前リリースの交渉しろと上司に言われたことがあった。ルワンダはフランス語圏だからみんな避けてきて、いわば尻拭いを押しつけられたのだった。
 
ルワンダ商業銀行に電話をかけても通じないので、親会社筋でコルレス銀行のベルギーのランベール銀行(BBL)本店に電話して事情を説明したところ、ルワンダの首都キガリは市外局番が変わったのだと教えてくれたので、新しい番号でルワンダに電話。現地銀行の担当者は遥か東京からの電話にやや驚いた様子だったけど、超アフリカ訛りのフランス語(RecevoirをRéceptionnerと言ったりする:動詞を無理矢理サ行変格活用にしているようなもの)でも会話は成り立ち、その後、向こうが嫌がるくらい連日電話をかけて、懇々とこちらの事情を説明して協力を仰ぎ、ファクスで案件終了の証憑を送ったりして数カ月後、ようやくリリースにこぎつけたものだった。
 
仕事で初めてフランス語を使って解決した、いわば自分にしかできない事案だったから今でもよく覚えているんだけど、先方は確かに仕事をしてくれたわけで、ルワンダ人は決して怠慢なのではないという筆者の主張に、大いに頷いてしまった。