「われわれは”明日のジョー”である」との名言を残し、日本初のハイジャックに成功して北朝鮮に渡った赤軍派の学生たち。そのリーダー・田宮高麿と友人だった筆者は、田宮に招かれ1990年に初めて平壌を訪れる。

a Division of Clichés.net Nobutaka Mizuno's Diary
「われわれは”明日のジョー”である」との名言を残し、日本初のハイジャックに成功して北朝鮮に渡った赤軍派の学生たち。そのリーダー・田宮高麿と友人だった筆者は、田宮に招かれ1990年に初めて平壌を訪れる。
「偉大な兄弟(Big Brother)」が支配する薄暗いロンドンの街。市民の活動は常にテレスクリーンと呼ばれる監視装置によって見張られていて、反政府的言動をした者はいつの間にか姿を消している。
日本を代表する映画プロデューサーである筆者が、自分を映画に惹き込ませた張本人である石原裕次郎に宛てた手紙の形式で綴る半生記。
終戦内閣・鈴木貫太郎総理の下、陸軍大臣を務めた阿南惟幾。
日本中を震撼させたロッキード事件。運輸省事務次官から全日空に天下りして、同社中興の祖といわれた若狭得治の視点を中心に、日本の航空業界に蠢く、政・官・民の魑魅魍魎たちの角逐を描く。
1930年(昭和5年)生まれの筆者。戦争に傾倒してゆく社会の中、戦争に反対する立場の父と家族は肩身の狭い思いをしつつ、時には水面下での反戦活動を行う父の密使まで務めながら育ってゆく。そして、小学3年生の時、担任として着任した伊藤信雄先生と運命の出会いを果たす。落ちこぼれを許さず、どの生徒にも自信をつけさせようとする先生の姿に、筆者を始め級友の誰もが惹かれてゆく。
『鬼平犯科帳』『剣客商売』『真田太平記』などで知られる筆者が、亡くなる2ヶ月前まで8年間続けた連載。
青山のラグビー場にその名を残す秩父宮殿下。が、その生涯について、実のところよく知らない人も少なくないのではないかと思う。
小飼弾氏のブログ“404 Blog Not Found”で「先着16名に著書献本」との応募にダメモトで申し込んでみたところ、先日送られてきました! しかも、前後してご本人からメールまで届きました!
ライターの筆者が、かねて興味のあったドラッグについて取材しているうちに、その”取材”は急速にエスカレートしてゆく…