関西発那覇行の日航機が、天候不良のため鹿児島空港に臨時着陸し、関空に引き返そうとしたところ、現地からの電話で航空機が次々に着陸している事実を知らされて乗客が日航側に詰め寄り、結局那覇に向けて再出発するという騒ぎがありました。


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今回は結局無事に那覇にたどり着いたようですが、客に気圧される形でのフライトが果たして正しかったのかどうか、個人的には疑問が残ります。
40年以上前の話ですが、1966年に、ハワイから飛んできた日航のDC-8「瀬戸号」が濃霧の羽田空港に着陸しようとして、目前まで来ながら滑走路を視認できず、計器着陸装置もなかった当時は、悪天候時の着陸が極めて危険であったために、機長は福岡空港へのダイバート(目的地変更)を決断しました。
乗客からは、「目の前まで来ていながら九州まで行かされるなんて」と不満の声が一斉に上がりました。しかし、彼らが福岡空港のロビーで眼にしたのは、テレビの臨時ニュースでした。
「カナダ航空機が羽田で墜落・炎上」
直後に飛んでいた別のDC-8が着陸に失敗していたのでした。先程までの機長への不満はたちまち賞賛へと変わり、乗客たちは我が身の無事を喜びあったといいます。以来日航では「臆病者と呼ばれる勇気を持て」という格言が浸透するようになったといいます。
今回客に言われるがまま那覇に飛んだ結果、事故に遭ったとしたらどんな批判を浴びたことかと思うと、それはそれでゾッとする話ではないでしょうか。

機長席からのメッセージ (Part2)
加藤 常夫 上田 恒夫
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