26人中25番目の平取締役が、突然社長になったことで、当時五輪で活躍していた山下治広選手の跳馬競技になぞらえて「山下跳び」と称された松下電器元社長・山下俊彦氏が亡くなりました。


Article from: MSN産経ニュース

1970年代半ば、松下幸之助相談役の意向を追認するだけの機関であった取締役会の席で、公然と異議を唱えたことが幸之助相談役の眼にとまり、創業家以外から初の社長に大抜擢されたのだそうです。

工業高校卒からの叩き上げで、社長就任会見で「失敗したら私を選んだ人にも責任がある」と言ってのける直言の士(松下幸之助について批判めいたことを言うのは同社ではありえない)で、後には「失敗を理論武装するヤツはダメ」(失敗に言い訳をして悪くなかったことにしてはいけない。失敗の反省をきちんとすること)といった名言を残しましたが、最終的には創業家の意向に逆らえずに、志半ばにして退任したと伝えられています。

享年92。合掌。

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