営業をしていた頃の部長との会話:
部長 「いいか、お客さんに見せる資料ってのは、女を口説く時の気持ちでやるんだ。相手の気をどう惹かせるかってことを考えながらつくるんだ。お前も経験あるだろ? 中学とか高校のときにあれこれ作戦練っただろ?」
水野 「部長、僕ずっと男子校だったんで。」
部長 「………」


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「ほれる」というのはどういうことか?
惜しまないこと、だと私は思う。金も、時間も、時には命さえ。
惜しまない、というのは、持っている、ということとはちょっと違う。100万円持っている人が1000円出すのと、1000円しかない人が100円出すのとでは、額は10倍前者が多いのに、後者の方が10倍も「惜しんでいない」。そしてどちらが「もてる」かといえば、後者の方なのだ。
人というのは案外こういうことには敏感だ。自分が「値踏みされている」のか「惚れられている」のかということは結構わかってしまうものだ。

情熱も能力も感性も備えている筈の人が、当然得られるべき成果を得られなかったり、なぜか異性にモテなかったりするのを何度か眼にしたことがあって、そのことを凄く不思議に思っていたのですが、上記の小飼氏の意見が答えのひとつになりそうです。僕が見てきたそういう人たちに共通しているのは、本人が意識しているかどうかは別として、ややもすれば露骨な出し惜しみや、相手の値踏みを、時として行っているのです。
僕と同年代でサラリーマン or ウーマンならば、忙しくない人なんてあまりいないでしょう。自他共に認める忙しいあなた、ほかにやることもあるであろうあなた、自分の時間も大切だろうあなたが、それでもなお相手のために時間を割いてくれたり、手間ヒマをかけてくれる、自分に振り向いてくれる、そのことが相手にとっては嬉しい、即ち相手があなたに惚れる大きな要因になるのであって、あなた自身の人間としての魅力だけが相手の評価額の総額にはならないのではないでしょうか。
いやむしろ、あなた自身の人間としての魅力が大きければ大きいほど、自分がどれだけ凄い人なのかを滔々と述べるだけ、自分が忙しいことを述べるだけ、自分の都合を言うだけ、自分の話をするだけ、では相手の共感を得られるどころか、あなたが相手をウェイティング・リストの下位に位置づけていることを、冷酷につきつけているだけになってしまうのではないでしょうか。そして、それをつきつけられた相手が、あなたに惚れこんでしまうとは、とても思えないのです。これは同性・異性にかかわらないことだと思います。
一所懸命さのベクトルが自分にだけ向かうか、それとも他人に向ける余裕を持てるかどうかで、後に得られるものが大きく変わってしまうような気がしています。自分の評価というものは、多くの場合は自分自身ではなく他人によって決められてしまうものなのですから。

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