ある友人が結婚式の二次会に招かれたところ、新郎か新婦の先輩にあたる人が主賓として乾杯の音頭を取ったのだそうだ。しかし、その主賓が乾杯を言う前に、自己紹介に実に15分を費やしたのだという。新郎新婦への祝辞のための時間としても十分長いが、その間ただひたすら自分のことだけを話していたのであれば、会場に居合わせた人たちは一体どんな気持ちになっただろうか。その席に招かれていたわけでもない筆者がどうこう口出しする問題ではないだろうが、祝い事の席で自身の自己顕示欲が主役になっては台無しではなかろうか。
ところで、今年も何件か友人の結婚式に招かれたが、結婚祝いに限らずお祝いを贈る時に筆者は自身に課しているルールがある。それは、自分が貰って嬉しいもの、置き場所に困らないもの、常用出来るもの、を選ぶということである。
自分が貰って嬉しいものというのは当然のことのような気もするが、贈り物というとつい張り切ってしまい、目立つものを選ぼうとして変に派手なものに眼が行って仕舞うことがなくはないので、受け手の気持ちを念頭に置くよう心がけている。また、プレゼントを貰えば嬉しいには違いないが、スペースを食う大きなものは避けたいと思っている。プレゼントがずっと鎮座しているだけの置き物であったならば、いずれ捨てられてしまうかも知れない。よって、プレゼントは日頃使う実用性のあるもので、且つ貰い手が既に持っているものと重複しても構わないものでなければならない、と思っている。
それじゃあ何を贈っているのか、と言われてしまいそうだが、ネタバレをすればサプライズが薄まってしまうこともあるだろうからここでは言うまい。しかしながら、よく考えてみれば、色々と浮かんでくるものではないか。ひとにお祝いをする、と言葉にするのは手易いかも知れないが、その結果の重みに考えが及ぶかどうかで、人間の大きさが変わってきてしまうような気がしている。


男の作法
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