このブログを改装している時に、10年以上前にマスコミの取材依頼を受けたことを思い出した。
 
1996年に起きた柴又三丁目女子大生殺人放火事件に関して、テレ朝の吉川という記者から取材を求められて、考えた末断ったのだが、どうして断ったのかを思い返してみる。
 
被害者はアルバイト仲間(同じ学部、学科違いの2年先輩)だったんだけど、事件直後、バイト先(RCCという広島の地方局の東京支社)の支社長からメンバーに訓示があった。
 
・ 大変なことが起きたけれど、しっかり気持ちを落ち着かせること
・ 警察の捜査には市民として当然協力すること
・ 但し、メディアはありもしないことを面白おかしく書き立てることもあるから、捜査と取材は一線を画すること
 
長く報道畑にあり広島でニュースキャスターも務めていたという支社長なればこその見識だと、当時19歳の僕にも思えたし、捜査と取材を混同しないプリンシプルは、この時身につけたんだなと思い当たった。
 
事件や故人について語り得る人間は限られるだろうし、この僕がまかり出ることで事件解決の助けになるのなら、それは故人の為にもやらねばなるまいと思ったけれど、その吉川記者が、さぁ取材させろと言わんばかりの態度で、挙句に自分らは警察も知らないことを摑んでいると豪語するので
「それなら先に捜査に協力するのが筋ではないか」
と断りを入れた。そして、その記者氏の情報なるものは未だ明らかになっていない…
 
この一件は僕のマスコミ嫌いを決定的にした。彼らを唾棄してマスゴミなんて呼ぶようになったのはあの記者によるところが大きい。
 
その後、全く別の話でチラホラとメディアの取材のオファーを頂いたこともあるし、取材の最前線を駆け回る本物の記者さんの執念は尊敬すべきなんだろうけど、僕は一切お断りしている。
 
それが正しい判断なのかは分からないけど、間違っているならば、いつか正しい方向に導かれることもあるだろうと思っている。
 
 
【追記】
当時のいきさつ: http://n-mizuno.com/taiken/

【追々記】
当時の支社長、佐伯亨さんは2008年に鬼籍に入られた由。遅ればせながら、ご冥福をお祈りします。
http://hiroshima.moe-nifty.com/blog/2008/12/post-2320.html