最初に勤めた会社で仕えていた上司が
「自分が悪く言われるのは、自分に徳がないから」
と言うのを聞いて、憑き物が取れたように気持ちがスッキリしたことがある。
 
いわれのない陰口や中傷であっても、自分に足りないものがある所為だという認識を持てば、そこに改善の余地が生まれる。自分が暮らす世界は、その目に映る景色だけではないことを知れば、やはり自分には至らぬ点があると知ることができる。
反対に、「自分は何も悪くない」という前提に立ってしまうと、都合の悪いことは全て自分以外の者の所為になってしまう。
 
自分より風采が上がらないはずのアイツがモテるのは家が裕福だからだ、実力があるはずの自分が認められないのは社会の所為だ、政治が悪いからだ首相が悪いからだ…… そんな言説はどこかで聞いたことがあるかも知れないが、他人をあげつらって貶めても、それで自分が偉くなるわけでもないし、仮にアイツと同じだけ裕福になったら本当にアイツを凌駕できるのか、裕福という尺度以外で彼我の差異を量ったことがあるのか、社会に認められるべき実力を本当に自分は備えているのか、何が求められているのか理解しているのか、政権交代したら本当に理想の社会がやって来るのか、来たことがあったか。
 
自分には○○がないからとか、自分は悪くないのにアイツがいけない、なんてわめく人に本当に欠けているのは何か。原因は実は周囲ではなく自分自身の思慮深さ、即ち徳なんじゃないか。
欠乏や制限を認識した上で目的を達成する為の計画性、他者と自分との関係を見据える社交性、理想と現実の折り合いをつける才覚といったプロセスを全部省略しておいて、それで望み通りの結果が手に入らないのを他者の責めに帰そうとするのはいかにも幼稚で見苦しい。
 
僕が悪口を言われることは減ったと思うけど、自分を棚に上げて誹謗中傷を触れて回る輩の人生がどれだけ楽しいというのか、他人事ながらいささか心配になる。