僕は英語が得意ではないけれど、日本にいる「オレ英語できるんだぜ」的な人が書く英文を見てて、「アレ、この表現おかしくね?」と思うことが間々ある。

例えば、日本でも有名なオートマチック拳銃の「コルト・ガバメント」は、集合名詞ならばnineteen eleven(1911)あるいはforty five(45口径)というものだと僕は思ってるんだけど、それがひたすらgovernmentと書いてあったら「アレ?」と思う。

それから、 FacebookやTwitter では、自分の名前が見出しに書いてあるから、その後に続く短文の呟きは三人称で表現( “…is going home now”とか)することが多いと思うんだけど、その短文でもいちいち “I am”とか書いてあるとこれまた「アレ?」と思う。

ネイティブだったら絶対使わない表現ってのは英語だけじゃなくて、例えば クリエイタの人は自分をクリエイタとは言わない傾向が強いと思う。有能な方ほど「制作やってる」とか「企画業務」、さらには「広告屋のサラリーマン」などと言うのだ。

しきりに自分をクリエイティブだとか、英語ができるとかを強調するのはホンモノではない証左なんだと、僕は逆説的に感じ取ってしまっている。特に SNSの世界ではそういう人種を間々見かけるんだけれども。

その人がクリエイティブかどうかなんて、生み出した作品や言動、生活のセンスを見ていれば分かってしまうものだろうし、本当に英語ができる ? 言葉を知っているというだけでなく、外国人とのコミュニケーションを容易に取れる ? 人は、日本で日本人と生活している以上、殊更にひけらかす必要もないし、披瀝する時と場合を心得ていることに気づく。

どう見ても美人じゃない人が、「ワタシったらすっごい美人なのヨ」と、どれだけ主張しても惨めでしかないのは自明なのだから、いい歳して自分を下手に盛るようなことは慎まねばならないと日々自戒する。
 

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