宮城県に本社を置く地方新聞・河北新報。「白河以北一山百文」と軽視された時代にあえて「河北」を紙名とした歴史ある新聞社。2011年3月11日の午後は、
 

「何か起きないかな……」

 
明日の朝刊のネタに悩むデスクのぼやきから始まった。そして、午後2時46分。
 

河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙
河北新報社
文藝春秋
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大地が悲鳴を上げたのはそのときだった。「地震 震度3 30秒後」。フロアの緊急地震速報受信装置の音声が流れた。(中略)これで震度3のわけがない。(中略)不思議なことに、誰も叫び声をあげない。「人間は本当の恐怖を感じると言葉を失うのだ」と思った。(中略)「震度4」「震度5」。地震速報装置の音声が震度を修正しだした。無機質な人工音が恐怖感を増幅させる。(中略)口から飛び出しそうな心臓が、自分が生きていることを告げている。

輪転機は無事だったが、印刷用のサーバが横倒しになり新聞発行がピンチに陥る。創刊以来、ただの一度も刊行を止めたことのない河北新報最大の危機に、社員たちが立ち上がる。そして、被災地から届く「全滅」「壊滅」の言葉の意味がよく分からないまま、地域に根ざした販売店との連絡もままならないまま、徒手空拳の取材が始まってゆく。

新潟日報の協力で、やっとの思いで発行した号外が飛ぶように捌け、可能な限りの配達も再開される。紙メディアの威力に新聞記者たち自身が驚きながら、全国紙やテレビの関心が福島第一原発に集中していく中、地元の河北新報だけができる報道が、自らも被災者である記者たちにより続けられてゆく…

横山秀夫が『クライマーズ・ハイ』で描いた世界が、今ここでは現実の出来事としてある。

東日本大震災から1年半が経ち、過去の出来事として捉えてしまいつつある自分に、あの日から今に続く被災地の現実を改めて突きつけられ、そしてまた、職業意識とは何なのかを再認識させられた一冊。