Category: 800字コラム

[800字コラム] 君のパワーと大人のフリ

元F1レーサーの片山右京氏が、白血病に罹った17歳の少年を見舞う機会があった。レーサーを志望していたその少年に、右京氏は
「頑張れよ。絶対諦めるんじゃないぞ。」
と声をかけた。いわゆる月並みな励ましというものでしかないが、当時の彼にはそれしか出来なかったという。
2ヵ月後、少年のご母堂から電話があった。
「息子が……亡くなりました…」
少年はあの後、手術を受けることになり、激痛を伴う筈なのに泣き言を一切漏らすことがなかった。しかし、容態は好転せず、今わの際にこう言い遺したという。
「片山さんと約束したけど、僕は頑張れなかった。お母さん、代わりに謝っておいて…」
右京氏はそれを聞き、ハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けたという。何という無責任なことを言ってしまったのだろう、と。そして、悔やむと同時に、生きることの価値について考えさせられたと右京氏は言うが、今でもその結論は出ていないとも言う。
僕は、自分の妻を含め頑張り屋の人は大好きなのだが、「平気です」「大丈夫です」などと強がってみせる彼なり彼女が、果たして何のために頑張っているのか、その頑張りがどこに向かっているのか、については限りなく興味がある。
自分の意見、自分の考えを持つことは素晴らしいことには違いないが、それは所詮自分だけのローカルルールに過ぎず、その行き着く先が、ただ自分のためだけの自己満足に終わってしまうのでは、せっかくの頑張りが、自己に相対する他者に伝わらないのではないか、という印象を強く持っている。そして、強がって頑張った挙句に頑張ることの意味を見失って、自分に自信を失くしてしまってはならない、とも思う。
頑張って、息を切らせて、道に迷っている人に向かって、「頑張れ」と声を掛けるのはある意味でとても残酷なことなのだろうが、では、この僕には何が出来るのだろうか、そもそも自分は頑張っているだろうか、と考えてしまうことが間々ある。

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[800字コラム] 先生も家に帰ればタダの人

最近、雑誌の書評欄や書店の店頭で、メンタリングやコーチングに関する書籍を眼にします。
僕自身も、そうした本を読んでみたこともありますが、
「わざわざマニュアルや教則にして身につけることなのかなぁ、こんな言動をオフィスでしていたらわざとらし過ぎねぇか?」
という印象は拭い切れません。
僕がこれまでに接してきた上司の何人かは、実に素晴らしいメンターでありコーチャーであったと思います。しかし、彼らは何もマニュアル通りに僕に触れてきたのではないでしょうし、「わざわざ僕のためにしつけをしてくれているんだ」とその場で気づかせてしまっては、本当の意味での教育にはなり得かったのではないかと思います。
いわゆるマニュアル本の類いは、先達の積み重ねてきた経験なり実績のエッセンスとなる部分を分かり易くまとめているから有用なのだ、という意見もあるでしょうが、昨今の関連書籍の多さには、言葉に出来ない違和感を覚えています。ちょうど、就職活動において「OB訪問くらいしないと」「企業研究しなくっちゃ」「自己分析しとかないと」といった風に、あたかも大学入試の過去問を解くかのように、タスク自体が独り歩きしてしまい、企業に入って働くことで自分自身をどう表現したいのか、という就活における主題がなおざりになってゆくのと似ているかも知れません。
そして、もう一つ気になるのは、メンターやコーチャーと呼ばれる人たちは、恐らくは部下にとってはとても頼りがいのある存在に映っていることでしょうが、その責務を負っている彼や彼女たちは、自分自身の想いを一体どうやって吐露し、抱える悩みを誰に打ち明けているのか、ということです。
そんなことまで考えていたらキリがないよ、と言われてしまいそうですが、部下が育っても上司がヘトヘトになってしまっては元も子もないような気がしますし、僕自身がそんな立場に置かれたら、一体何が出来るのだろうかと考えてしまいます。

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[800字コラム] シンデレラたちへの伝言

20代後半の未婚女性にとって、お相手の男性が見つからないというのは深刻な問題であるらしい。負け犬だとか崖っぷちだとか、メディアは面白おかしく形容するが、それでは何に負けているのか、崖から落ちたらどうなるのかについて説明もなく、ただ不安を煽るだけというのは困りものという気がする。婚期が早い遅いというのは、添い遂げる相手と巡り会うタイミングの違いだけではないのか。十人十色の出会いや恋愛の形があるからこそ人生は面白いと思うのだが、その形や時期の差異をもって、あたかも人間に優劣があるかのように表現するのは如何なものかと思う。
先日、その年代の若い友人が、妻子持ちの先輩に
「君は結婚しないの?」
と言われたそうな。結婚すれば偉いとでも思っているのか何なのか、カレシのいない女性に向かってそういう問いかけをするというのも、発想が幼いというべきか、それで何を得ようとしているのか理解出来ないが、こころないひとにこころを求めても仕方がないのかも知れない。
話が逸れるが、ある挿話を紹介したい。
1996年のF1日本グランプリのこと。36歳の苦労人デイモン=ヒルが優勝して初のワールド・チャンピオンに輝いた。レース後の記者会見の隣席に、若いミカ=ハッキネンがいた。ハッキネンは誰もが認める才能溢れるレーサーではあったが、F1参戦6年を経てなお、年間王座はおろか優勝すら果たせずにいた。そんなハッキネンに、ヒルがこう言った。
「いつか君にも同じ日が来る。」
それから2年後、ハッキネンは狂ったように勝ち始める。そして、同じ日本グランプリで見事王者の座を射止め、ヒルの予言を現実のものにする…
僕自身、結婚して妻と一緒にいられるのは確かに幸せではあるが、「君はまだ?」とニヤつくよりは、「君にも同じ日が来る」と言えるこころを持った人になりたいと思っている。幸せを独り占めするよりも、幸せをシェアできる方が美しいに決まっている。

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[800字コラム] どんなものでも君にかないやしない

ある友人が結婚式の二次会に招かれたところ、新郎か新婦の先輩にあたる人が主賓として乾杯の音頭を取ったのだそうだ。しかし、その主賓が乾杯を言う前に、自己紹介に実に15分を費やしたのだという。新郎新婦への祝辞のための時間としても十分長いが、その間ただひたすら自分のことだけを話していたのであれば、会場に居合わせた人たちは一体どんな気持ちになっただろうか。その席に招かれていたわけでもない筆者がどうこう口出しする問題ではないだろうが、祝い事の席で自身の自己顕示欲が主役になっては台無しではなかろうか。
ところで、今年も何件か友人の結婚式に招かれたが、結婚祝いに限らずお祝いを贈る時に筆者は自身に課しているルールがある。それは、自分が貰って嬉しいもの、置き場所に困らないもの、常用出来るもの、を選ぶということである。
自分が貰って嬉しいものというのは当然のことのような気もするが、贈り物というとつい張り切ってしまい、目立つものを選ぼうとして変に派手なものに眼が行って仕舞うことがなくはないので、受け手の気持ちを念頭に置くよう心がけている。また、プレゼントを貰えば嬉しいには違いないが、スペースを食う大きなものは避けたいと思っている。プレゼントがずっと鎮座しているだけの置き物であったならば、いずれ捨てられてしまうかも知れない。よって、プレゼントは日頃使う実用性のあるもので、且つ貰い手が既に持っているものと重複しても構わないものでなければならない、と思っている。
それじゃあ何を贈っているのか、と言われてしまいそうだが、ネタバレをすればサプライズが薄まってしまうこともあるだろうからここでは言うまい。しかしながら、よく考えてみれば、色々と浮かんでくるものではないか。ひとにお祝いをする、と言葉にするのは手易いかも知れないが、その結果の重みに考えが及ぶかどうかで、人間の大きさが変わってきてしまうような気がしている。

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[800字コラム] さえない20代 (20代最後の日に記す)

10年前、はたちになる瞬間の僕はサークルの先輩と電話で話していた。当時はEメールもチャットも普及せず、iモードはおろかショートメールすらない時代にあって、携帯電話は専ら話すためのものだった。あの時話していたのはサークルの運営に関することで、今になってみれば大したことではないのかも知れないが、19歳の自分はそれなりに一所懸命だったとは思う。
あれから10年、今でも若いつもりだけれど、あの頃のような情熱や集中力を僕は持っているのだろうか、そしてそれらを、今自分が本当にやるべきことに注いでいるだろうか。一番大切なものを手に入れたけれど、そうでないものも大切にしているだろうか。
あれから10年、大学を出て働き始めて随分経つが、一体自分自身はどれだけ変わって、どれだけ成長したのだろう。自分の欠点は昔から変わっていないように思うし、歳をとっても、社会的な肩書がついても、自分はいつまでも自分のままであって、変わったとすればそれは他者の自分を見る眼や、周囲のものの見方の変化ではないかと思う。
あれから10年、他者との無用の対立や諍いというものを、僕は何度も経験してきた。あの先輩とも今では連絡を取っていない。
それでも僕は、他者と仲良くしていたいという気持ちをずっと持っている。これまで仲良くしてくれた人たちにはこれからも仲良くしていて欲しいし、今は口をきかない人たちとも、いつかは理解し合える日が来ると、ただ根拠もなく思っている。
これから僕は、どこに向かい何をするのだろうか。この10年間、自分で自分を褒められるようなことはしてこなかったし、これからだって、自分がどんな人間でいられるのか分かりはしない。自分が何を守り何のために生きてゆくのか。30代になるからといって忽ちに分かるわけでもなく、考え出せばキリがないが、僕が僕であるためにこそ、自分と違う存在である他者に対する関心は失わずに生きてゆこうと思う。

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[800字コラム] タイタニック

映画『タイタニック』の終盤、カルパチア号に救出されたキャル=ホックリーが婚約者ローズを探しに甲板を歩き回るシーンがある。タキシード姿のキャルを見て船員が曰く、
「サー、お探しの方はここにはいません。奴らは皆スティリッジです」
Steerageとは三等船室やその乗客を指す言葉だが、印象的なのはその船員の口調がいかにも三等を見下していることである。
現代の長距離旅行は大型船からジャンボ機に取って代わったが、航空用語には船舶時代の名残を留めるものが少なくない。機長はキャプテン、距離はノーティカルマイル(海里)、速度はノットである。客室の等級が3つという点も同じであろう。
職業柄、海外に出張することが間々ある。ビジネスクラスでは専用のチェックインカウンターが用意され、搭乗迄はラウンジで寛ぐことが出来る。飛行機が離陸すればシャンパンが振る舞われ、コールボタンを押せば乗務員が自分の名前を呼んで応えてくれる。飲み物、食べ物があれこれと供され、手許のモニタでは映画を好きな時に見ることが出来る。長時間のフライトを出来る限り快適に過ごして貰おうという航空会社の心意気が見て取れる。
勿論、エコノミークラスではそうはいかない。僕自身プライベートではエコノミーに乗るが、搭乗迄の長い行列、狭い座席、不味い食事に不満がなくはない。しかし、三等なれば寧ろそれが当たり前であって、スティリッジにしては悪くない待遇ではないかとさえ思える。
飛行機に乗る、海外に行くこと自体が特別だと思い込んでしまう人は、格安航空券でも特別な待遇を期待してしまうのかも知れない。しかし現実はタイタニックの時代と大差ない。安いチケットならばそれなりのサービスしか得られないし、5倍10倍の運賃を払えば下へも置かぬもてなしが約束される。
考えてみれば当たり前のことではあるが、それを忘れてしまう輩が機内で威張っているのを時々見かける。客室乗務員も大変だ。

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[800字コラム] 就職活動

数年前から、就職活動の相談事を受けることが増えている。僕自身OB訪問によって得たものも多かったので、可能な限り対応するよう努めている。実際に会ってみると、各人各様に緊張してはいるが、自分なりの考え方やものの見方を披瀝してくれるので、こちらも参考になることが少なくない。
ところで、僕はOB訪問を受ける際に必ず「履歴書を持ってきて下さい」とお願いしている。資料があれば話題も作り易いと思っているからだが、最近の学生たちは判で押したように特技の欄に「パソコン:ワード、エクセル、インターネットリレーテッドソフトウェア」と書いてくるのでビックリしてしまう。インターネット関連ソフトとは、一体どんなプログラムを書いているのだろう。はたまた、ウェブを活用したシステム構築を研究しているのかと思い話を聞いてみると、実は単にメールソフトとブラウザを操ることが出来るというだけのことで、ワードやエクセルにしても、マクロを使いこなせるわけでもなく文字や数字を入力するだけのことを特技と称しているらしい。
20代の若者がそうしたソフトを使えるというのは何も特別なことではないだろう。どこかの就職セミナーでそう教えているのか、或いはネタ本の類いに書いてあるのかは分からぬが、皆揃いも揃って「僕はインターネットリレーテッドソフトウェアが使えます」と胸を張られてもこちらは困惑するばかりである。ブラウザやメールでどのような情報を入手し活用しているのかという点こそが重要である筈なのだが。
あの頓珍漢な造語を連呼する背景には、自分を大きく見せることが就職活動の目的と化してしまい、「ほら僕って凄いでしょう」と胸を張ることは出来ても、自分の存在が会社にどのようなメリットをもたらすか、ということを自分の言葉で説明し納得させる力も発想もない、即ちPR意識の欠如というものがあると思う。それは学生たちに限った話ではないような気もするが。

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新コーナー"nmstyle"

タイトルの通り、板倉雄一郎事務所「ITAKURASTYLE」のパクリです。最初は書評コーナーをつくろうかと思っていたのですが、本のあらましだけだったらそれは書評ではなくレジュメになってしまうし、結論や結末を書いてしまったら読者はその本を読む気をなくしてしまうかもしれない。そして、「ほら、ボクってこんな本読んでるんだよ」という自慢話にしか聞こえないのでは困りものです。批評や一般論に名を借りて結局は自己顕示だけが目的になってしまう文章は書きたくないのですが、書籍に限らず、普段つかっている身の回りのものや、日頃感じていることについてショート・コラムを書いてゆくことが出来ればと思っています。

※追記 (2020/3/13):nmstyleでは内容が分かりにくいのでコーナー名を「800字コラム」に変更しました

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