Category: Diary

スターバックス

朝6時半に起床。妻も起きてくれ、朝食を取ってから人形町へ赴き、これから京都に向かうフランス人らを迎えに行く。7時半に出るように準備しておいてくれよ、と言っておいたのだが、流石はフランス人と言うべきか、一人がコーヒーショップに出かけて道に迷い、出発が15分遅れる。それでも、タクシーに乗ったので5分で東京駅に到着。発車10分前に改札に送り届けて、出社前に新幹線口のスターバックスで一服。前の部署にいた頃、取引先のカナダ人にスタバ・フリークとも呼ぶべき人間がいて、彼のために日本中のスタバの店の在り処を探していたことを思い出す。スタバで実はクレジットカードが使えるというトリビアを教えてくれたのも彼だった。出社後、いつもの通り仕事。思ったよりも順調に仕事が進むが、量が減るわけでもないのでなかなか終わらない。終電間際に帰宅。

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終戦の日

朝、テレビをつけると小泉総理が靖国神社を参拝している。学校の近所にあり、幼少の頃から何度となく参拝している身としては、このお社にお参りすることが別段特別なことではないが、殊更政治問題にして騒ぎ立てる特定のアジア諸国に対して、総理は或る意味で完璧な形で意趣返しをしてみせたのだと思う。いつも通り出勤して仕事をしていると、いきなり社長がやって来て部員一同度肝を抜かれる。秘書も連れずに「夏の挨拶に来た」と、現場社員を労っている。しかも全然偉そうでない。22時過ぎに帰宅。

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ひたすら

いつも通り起床。今週もまた仕事。午後、役員にまた呼ばれるが、上長がいないのでひとりで役員室へ。最終的な打ち合わせが終わり、これまでの仕事を労って頂く。一仕事片付けた余韻に浸る間もなく、次の仕事に追われまくる。会社の窓から、東京国立近代美術館工芸館(旧近衛師団本部)が見える。61年前の今日、宮城事件と呼ばれるクーデター未遂劇の舞台のひとつとなった場所である。決起した若手将校たちは、一体どんな気持ちでこの8月の暑い日を過ごしたのだろう。日付が変わる前に帰宅。

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Sweets

朝10時前に起きる。午後、上野広小路まで出かけて「みつばち」のかき氷を食べに行く。安価で美味。妻が食材を買うため御徒町の多慶屋へ。その後、近所の本屋で『逆説の日本史』の最新刊を購入。ようやく江戸時代に入ってきた。その後、アブアブの中にあるユニクロに行って妻のワンピースと僕のズボンを買い、同じビルの「スイーツパラダイス」で夕食にする。久しぶりに甘いものをたくさん食べて満足する。21時前に帰宅。「功名が辻」のBS再放送を見てから寝る。

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雨が止んだら

朝10時過ぎに起きる。朝食を取り、「純情きらり」の再放送を見て、昼過ぎに父のオフィスに向かう。事務所のADSLが繋がらなくなったとのことで、ルータの故障を疑い、代替品に付け替えてみると案の定あっさり接続出来るようになる。24時間電源が入ったままなのだから、突然故障するリスクもまたはらんでいるのだろう。帰宅すると程なく大雨。9月の旅行について下調べをする。米国だから航空会社は多数あるのだが、航空会社の会員ステータスを活用しようとなれば自ずと選択肢は限られてしまうので、旅行会社に電話して相談したりする。夕方、晴れ間が見えた頃に門前仲町に買い物に出かける。夜、妻のつくる中東風羊の煮込みとクスクスを食べる。今日は日航ジャンボ機墜落から22年。遺族の多くにとって、時計の針はあの日から止まったままなのだろうが、時代は残酷なまでに着々と年輪を刻み続けてゆく。忘れなければならないことと、忘れてはならないことの線引きは、22年の歳月を経てなお難しいのではなかろうかと思う。そして、ボイスレコーダなどが非公式に公開されてなお、詳しい直接の事故原因が不明であることはなんとも奇怪ではある。日付が変わる頃就寝。

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集中作業

眠いが何とか起きて出勤。朝からコーヒーを飲みまくって何とか集中する。午後、一昨日に続き役員に呼ばれて打ち合わせ。ようやく宿題が片付きそうで安心するが、まだ気は抜けない。結局深夜まで残業して帰宅。長いようであっという間だった1週間がようやく終わる。

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訃報

眠いが何とか起きて出社。昼休み、昨日同様社員食堂でフランス人と昼食。彼らのうちの一人が牛丼を選んだので、「日本にはヨシノヤという牛丼チェーンがあって、かのアラン=プロストも好んで食べていたんだよ」と言うと向こうも驚いていた。そして、「プロストのチームにはシンジ・ナカノっていう日本人がいたよな」と言ってきたので今度はこちらがビックリする。佐藤琢磨ならばともかく、中野信治の名前がサラリと出てくるフランス人はそうはいないだろう。午後、中学・高校の学生食堂のオーナーが亡くなったとの報せが入り、急遽通夜に参列することに。カジュアルウェアなので恥ずかしいのだが、母校の聖堂でのミサに参列。この聖堂は学生食堂の真上に建っていることに気づく。夏休み中にも関わらず多くの関係者が集まっている。お清めの場で、久しぶりにお会いする恩師らに近況を報告。最近、母校のフランス語教育が蔑ろにされつつあるという噂を耳にしていたので、かつての担任でもある校長に挨拶がてら「この学校のフランス語教育は偉大です。英語だけ習って英語受験して普通の学生になっていたら今の僕はなかったです。只の番号になっていたでしょう。」と言ってみたところ、「それはそうだな」と、短い回答が返ってくる。母校を辞して会社に戻り深夜まで働く。

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長崎原爆の日

いつも通り起きる。朝から粛々と仕事。社員食堂でフランス人と昼食。なぜか彼らは海老を好み、海老餃子などを好んで食べている。食事中、「会社の近くにネットカフェはあるか」と訊かれる。会社のネットワークはホットメールなどがブロックされて表示されないので、プライベートのメールをチェックしたい由。なにぶん行ったことがないので俄かに答えられないが、そういえば隣のKKRホテルのロビーにコイン式のインターネットマシンがあったことを思い出し勧めてみる。話のついでに日本ではネットカフェよりもむしろマンガ喫茶というものがポピュラーなのだと説明する。MANGAはフランス語として定着しているが、日本のアニメを表す総称として捉えられており、日本語本来のマンガの意味はコミックなのである、ネットカフェ同様に時間ごとにお金を払うとコミックが読み放題なのが漫喫であり、そこでは大概PCも置いてあるからインターネットも楽しめる。漫喫はネットカフェを包含するもののだと解説すると納得してもらえた。午後、今日こそは早く帰るため仕事の速度を上げるが、量が増えてきたので中々思うようには仕上がらない。夜、神田まで歩いてケーキを買ってから帰宅。

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難しいフランス語

8時前に起きる。朝から雨。いつも通り仕事。昼、フランス人たちを連れて社員食堂へ。社食は地下にあるのだが、エレベータが途中の1Fで止まり、外に食べに行く人たちが下りてゆく。フランス人が”On decend?”(下りるのか?)と聞いてくるので、”Oui, on decend”(うん、下りてゆくんだよ)と答えると、向こうはエレベータを降りることだと勘違いして外に出そうになってしまう。落語のようだが、難しいのは日本語だけではないということか。あれこれ仕事をしているうちに遅くなり、終電間際に帰宅。

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北ウィング

朝5時過ぎに起床。妻も起きてくれ、簡単に朝食を済ませて日比谷線で上野へ。スカイライナー1号で成田空港へ向かう。成田空港は、開港当初は成田新幹線計画がありその前提でターミナル地下にホームが予め出来上がっていたが、新幹線の建設が断念されて以来、遺構だけがずっと放置されていた。これを知った竹下内閣石原慎太郎運輸大臣が在来線の乗り入れを決断、立案から僅か4ヶ月で第三セクターによる鉄道事業者が設立され、竹下総理から「あんたは案外、行政がうまいんだなぁ」と褒められた逸話がある。ちなみに、空港第2ビルから成田空港までJRと京成が単線になっているのは、当初JRのみを乗り入れさせる計画であったものが、石原大臣の出身校の先輩で、京成電鉄のメインバンクの役員であった御仁が運輸省に乗り込んできて、「京成も入れさせるからな」とねじこんで実現したもので、そうでなければ京成は今でもターミナルから遠く離れた東成田駅に甘んじていたことになる。何れにせよ、現在では当たり前に利用されている空港アクセス鉄道の立役者が、現在の東京都知事であることは余り知られていない。7時半に成田空港に到着し、フランス人を待つがエールフランス機の到着が遅れて9時過ぎにようやく2人をお出迎え。本格的にフランス語会話をするのは3年ぶりなので、なかなか勘を取り戻せないが、それなりに会話をしながら箱崎までリムジンバスに乗る。箱崎からタクシーで人形町近くのウィークリーマンションに送り届け、小休止させた後、人形町交差点にある「ロン」で昼食。午後、会社に連れて行き、同僚を紹介する。夕方、役員に呼ばれて役員室へ。フランス人の歓迎会があるのだが、こちらの都合はお構いなしに打ち合わせと酒盛りが始まる。しかし、会う度に思うがこの御仁は代表取締役の一員だというのにちっとも偉ぶらず、現場の視点、営業の視点から焦点が外れることがない。異動したことで、お偉いさんの声に直に触れられるようになったのは得がたい経験だと思う。19時半頃役員室を辞して日本橋の「ほっこり」に向かい、ようやく歓迎会に合流。2人とも英語が堪能なので、他の面々とのコミュニケーションにも全く問題は無い。お開きになった後、人形町まで歩いて彼らを送ってから帰宅。長い一日がようやく終わる。

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