(承前)

僕の提案というのは、就職懇談会はきわめて限られた時間ゆえ、主催者が一定のテーマ(フランス語を使っているか否か、社会人になりたての頃に気づいたこと、学生のうちにやっておけばよかったこと等)を決めて講師役に話題を前もって準備してもらうべきではないか、そして、参加する学生さんには講師役がどういう人なのか、プロファイルが分かっていればその場で急に質問を考えるのではなく、ある程度余裕を持って臨むことができるのではないか、そうしたお膳立てを念頭に懇談会の準備を進めるべきではないか、というものでした。

山岸真太郎・上智大学フランス語学科同窓会副会長は一応検討はしてくれたようですが、返ってきた返事は以下のものでした。

結論から申し上げると今年度はこれまでのまま進めようと思います。
早急な改⾰は思いとどまろうと判断しました。
同窓会活動ですので、なにかを変える場合は多くの役員の賛同を得る必要があります。
この活動は、フランス語学科という相⼿がある毎年恒例の活動です。
その年によって内容や程度の振れ幅が⼤きいことが今後ずっと継続していく上で好ましくありません。
ある年はとても良く準備ができていて、次の年はそうでなかった、ということがないほうがお互いのためだと思われます。
ところで、もしよろしければ、来年役員の改選がございますので、ぜひメンバーに加わっていただき、議論を進めてまいりませんか?
⽔野さんの情熱はメンバーに伝わると思います

逐一役員会の機関決定を得なければいけないというのは、内輪の団体にしては随分硬直化しているように思えましたし、有り体に言えば山岸真太郎・上智大学フランス語学科同窓会副会長は自分ひとりで責任を負いたくないのだろうとも思いました。それでは何の為の責任者か分かりませんけれども。
何の改善もなく毎年全く同じことをやっていさえすれば良いということであれば、そうした人たちの思考や能力の限界ということも出来るでしょうが、もちろん僕は同窓会員ではあっても役員ではありませんから、あとからやってきて大きな顔をするわけにいかないのは物の道理というもの。

僕自身も、自説持論のゴリ押しをしたいのではなく、放置すれば悪くなると分かり切っているものを見ていて黙っていられなかったまでで、後知恵で「自分にはいい案があったのに」なんて言うのはもってのほか。
「言わないで後悔するよりは、言って後悔すべし」と常日頃口にしているモットーを僕は実践したのであって、言ってみて、それでも駄目なら素直に諦めるしかありません。

そして、役員就任のオファーは予期していなかっただけに驚いたけれど、実際に内部に入ってみなければ分からないこともあるだろうし、実際に改選の時期になったら改めて決めればいいことだろうと思い、
「役員改選の件は、時期が近づきましたら別途お知らせいただければ幸いです」
と返事をしました。

山岸真太郎・上智大学フランス語学科同窓会副会長の計らいで、その後就職懇談会の実務メンバーのメールのやりとりの宛先に含んでもらえることになったのですが、ある日こんなメールが流れてきました。

今日になって学生が要望する<具体的企業名>が学科から届きました
お知り合いに該当者がいらっしゃいましたらリクルートお願いします
あと10日となりました
残りの時間、よろしくお願いします

添えられた企業名の一覧を見て、何だこの合コン人気企業ランキングみたいなのは、というのが偽らざる感想でしたが、「あと10日となりました。残りの時間、よろしくお願いします」ということは10日前の今から、こうした会社にお勤めの人を一から捜し出して、自分たちのイベントの為に、当日別の予定があってもキャンセルさせて、更に会社を早退させる交渉を始める、ということなのでしょうか。
というよりも、そもそもそうした人たちを連れて来て何をさせたいんでしょうか。前年の僕みたいに、全く実のない、噛み合わない、弾まない会話を強いたいのか、それとも、有名企業の先輩と知り合いになれたぜ!という現役学生の虚栄心を満たすが為だけに引っ張り出すということなのか。

捜査令状でも持っているのならともかく、出身学科が同じというだけで、会ったこともない人をピンポイントで呼び立てることができると本気で思っているのか、それとも「自分たちは現役学科生の要望に応えるべく仕事をしました」というアリバイづくりを演じているのか、或いは、ほかに思いもつかない背景があるのか、僕にはまったく理解不能でしたが、いずれにしても、講師役として招かれる卒業生たちは、同窓会役員たちにとっては一種の持ち駒でしかなく、持ち駒に対する配慮など望むべくもないのだな、ということを思い知らされたものでした。

持ち駒といえばもう一つ。山岸真太郎・上智大学フランス語学科同窓会副会長からは、

水野さんご紹介の○○社勤務の方、○○社の女性の方、最低限の情報として、お名前、卒年(入学年でなく)、社名、肩書きあるいはご担当、をお知らせください

とのメールが来ました。

懇談会を主催する側としては出席者をハッキリさせたいという考えは分からぬではないものの、まだ本人から正式に参加表明があったわけでもない、いわば赤の他人の個人情報をいかにもお気軽に扱おうとする、あまつさえ、当人の了承もなく教えて当然だろとでも言わんばかりの態度が伝わってきてしまい、僕は僕でカチンとくるところがありました。
こういう事態をある程度予期していたからこそ、僕からは氏名も所属も明かさなかったわけですが、一応返事はしなくてはいけませんから、

友人らに対しては直接山岸さん宛てに連絡差し上げるよう既に伝えておりますがまだ連絡がないようであればリマインダーをします。当今の時世柄、個人情報は友人の間であっても慎重に取り扱っておりますのでその点ご了解をいただければ幸いです」

やんわりお断りしました。
その後、山岸真太郎・上智大学フランス語学科同窓会副会長からは、僕宛にだけメールの返信があり、

個人情報の開示,管理に関しても,難しくなくてかつ,良い方法がないかなど,役員会にご参加いただき,いろいろお知恵を頂戴できればと,期待しております

との返答がありました。
この山岸真太郎・上智大学フランス語学科同窓会副会長のメールを素直に読めば、同窓会はこれまで個人情報管理をまともにしてこなかったと認めているのと同じだと思うのですが、何とも心許ない同窓会組織だなという印象が深まってしまいました。

当日、講師役は11名。僕が誘った同期(2名)と後輩(3名)それに僕自身を入れれば実に過半数の講師役を僕が揃えたことになるけれど、元々の山岸真太郎・上智大学フランス語学科同窓会副会長との約束を十全に履行できたというだけでなく、できるだけ多くの卒業生と接する機会を学生に供するという僕の所期の目的は達成したと思えました。

5名とも、在学中から仲良くしてもらっていたり、卒業後も連絡を絶やさずにいた友人たちをしつこく誘って、まぁ水野がそこまで言うなら参加してみるかなと思ってくれた結果、いわば僕の個人的な”顔”で出席してもらえたのであって、同窓会なる組織の威光(?)を振りかざしたのではなかったし、それどころか同窓会は講師役に対して懇談会の具体的な内容、即ち何を話すのか、どういう進行なのかといったことは何の説明もしていませんでしたから、僕が昨年の事例を基に、全部説明することになりました。僕が感じたような心細さや不快感を、自分が誘った人たちにまで共有してほしくはありませんでしたから。

細かな話ではあったけれど、図書館に入る時には受付の方に「自分はフランス語学科の卒業生で、就職懇談会に参加する為に来た」旨を伝えるように、友人たちには念の為連絡をしておきました。
果たして、誰も同窓会側から事前の案内などは聞かされておらず、口々に
「ミズノが教えてくれなかったら入り方が分からなかった」
と感謝されはしたものの、前年に僕が質問して指摘した事柄は、同窓会役員にとっては反省点には成り得なかったのだろうな、自分たちが毎年やっていることに間違いがないと思っているから、毎年同じことをして、自ら招待した人間に毎年同じ不便を強いるのだろうな、という暗澹たる気持ちにさせられたものでした。

他方、くだんの「合コン人気企業」(?)のリクルートの成果を見ることはできませんでした。
それはそうでしょう、仮にそうした会社で働く卒業生が見つかったとしても、会社を欠勤または早退までして自分たちの企画に乗ることにどのようなバリューが見込めるのか、同窓会側が具体的な提示をしている形跡がないのですから。

そして懇談会。

冒頭、自己紹介と学生さんへのメッセージをと言われたので、僕は以下のような話をしました。
「社会に出る、ビジネスパーソンになる、あるいは研究者として仕事をするとしても、必ず必要になる資質というものがあると思います。それを一つだけ選べと言われたら僕は、『人を心配させない、その心がけができること』だと思っています。今日皆さんがこの懇談会に来ているのも、恐らくは、就職活動という未知なるものに挑む不安を少しでも取り除きたい気持ちがあったからだと思います。こういう気持ちは、これから会社で接するお客さんであったり、一緒に働く上司や同僚も同じように抱いています。アイツちゃんと仕事してんのかな、言ったことやってくれてんのかな、どこまで進んでるのかな、といった小さな不安の気持ちにキチンと対応出来る人というのが、社会人としての資質がある人ということになるんじゃないかと僕は思っています。この時期に聞いた就職セミナーの話なんて、8割から9割は忘れてしまいます。でも、この『不安にさせない』という心がけだけは、これから先の人生にもずっとつきまとうお話ですから、ぜひとも忘れないで頂きたいと思います。」

このコメントは、学生に向けたものではあったけれども、自分で招いている講師役に何のケアーもしない、毎年それが当たり前だと思っている同窓会へのメッセージでもありました。もっとも、それは全く伝わってはいなかったようで、懇談会からひと月あまり経ったあと、僕が誘って参加してくれた友達のひとりに
「あの後、同窓会から何か連絡あった?お礼とかコメントとか」
と訊いてみたら、口を揃えて
「いいえ、まったく」
との返答でした。もちろん、僕のところにも何も来ていません。

懇談会のあとの飲み会はご馳走しているのだから、同窓会としてはそれで礼を尽くしたといいたいのかも知れませんが、僕が誘った友人の中には、勤務時間をやりくりして四ツ谷まで罷り出て、懇談会が終わるや会社に戻って仕事の帳尻を合わせてくれた人、即ち飲み会に出席していない人もいましたし、飲み会に話を矮小化させるまでもなく、ボランティアで自分の時間を割いてくれた人たちに、主催者から何か言うことはないのでしょうか。
社会人を目指す学生との懇談会で、社会人らしい人間の振る舞いを、主催者に期待してはいけないものでしょうか。

別の友達からは、
「あの懇談会は学生が仕切っているのかと思っていたら、自分より相当年上の卒業生たちだったので驚いた。学生なら、多少ならず雑なやり方だったとしても仕方ないと思えるけれど、いい歳した社会人が、しかも毎年やっていて、あれはないと思った。」
という、正鵠を射た意見も聞かされたのですが、呼ぶだけ呼んであとは放置する同窓会組織の人たちを相手に、僕としてもどうすることも出来ません。
せめて、来年度僕が同窓会の役員になるのならば、その時にはこうした非常識かつ傲慢きわまる対応は改めようと思っていました。

(つづく)