第一生命の社長を務めた石坂は進駐軍によって本社ビルを追い出され、自分が使っていた社長室はマッカーサー元帥の執務室となった。その部屋にある小さな置時計の美しさに見とれた元帥が、この部屋の元の主に興味を抱いて出頭を要請した。しかし石坂は、
「行かねえよ。用があるなら、自分から来い。」
これが原因かは定かでないが、後に公職追放の憂き目に遭う。
戦後、請われて東芝の社長になり、経団連の会長を長く務めた。ある会見の際、タバコを吹かす新聞記者たちを前に、
「なんだ君たちは、意志の弱い証拠だな。」
すかさず記者たちが
「ご自身はどうなんですか?」
「ああ、僕か? 僕は何度もやめることが出来たよ。」


いしざか・たいぞう (1886?1975)
第一生命社長、東芝社長、日本万国博覧会協会会長