携帯ショップに行った時のこと。かなり混雑していて、何列も並んだ椅子で待たされていたのだが、後ろのご婦人が電話をかけ大声で話している。電話屋なのだから店内で電話することは責められないのだろうが、通話が終わると今度は同じ音量で隣にいると思しき娘さんと会話を始める。
 
暫くして店員が来意を尋ねると、ご婦人曰く、 iPhoneとiPad の間でフォトストリームが同期しないのが故障だ(?)との訴え。店員も俄に返答が出来ない様子だったが、どうやら Wi-Fi経由でないとアップされない iCloudの仕様を理解していない模様。暫くして店員も同じ回答をしていたが、店内の Wi-Fiも混み合っていてうまくゆかない。

後ろにいる客の様子がここまで分かるのは、偏にご婦人の大声のお蔭なのだが、それはそれとして僕が感じたのは、「機械は自分の為に便利さを提供してくれて当然」という思考回路が、現代に生きる我々に身についてしまっているんだなということ。

僕が育ってきた時代では、 PCでも携帯電話でも、機械には制限や不具合があって当然。自分で症状を見て学習したり、友達に教えて貰いながら使いやすくしてゆく、即ち物と対話する過程があったしその為の努力もしたけれど、現在では自分の思った通りの動作をしないと、「壊れた」「おかしい」と、自分に落ち度がないことを前提にした物言いをして、何の努力もせず他人に解決策を丸投げし「自分は客だから当然だろ」という顔をする。
そして奴隷のように応対させられる店員が費やす時間とコストが、結果として通信料金に積み上がり、利用者の負担増として跳ね返っていることは論を俟たない。

そして、こうした現象は何も携帯電話の世界だけの話ではないのではあるまいか。
権利意識だけが肥大化し、自己主張だけが上手になって、自分で考えない、事の本質を見出す努力を放棄した人たちの行き着く先がどうなってしまうのか、暗澹たる気持ちになる。

コーヒーショップで
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