朝7時半起床。テキパキ支度をして普段会社に行くのと同じ時刻に家を出る。バスで羽田空港に向かい、フライトの時間までエアポートラウンジで過ごす。現地でゆっくりお昼を食べる時間がないと思い、空弁を買っておく。ANA885便で富山へ。珍しくB767ではなくB777-200。機内で弁当を頬張る。気流の乱れから、着陸が若干遅れる。空港からタクシーで急いで市内へ。午後イチにお客さんとミーティング。あまり実のない話でわざわざ出向く必要があるのかも分からないが、面と向かって話をする機会を持つのも悪い話ではない。夜の会食まで時間が余ったので、思い立って藤子不二雄の故郷、高岡まで足を伸ばすことにする。急行形電車のボックスシートに座り、約20分で高岡に着く。目抜き通りを歩くと、いきなり文苑堂書店が眼に入ってくる。昭和25年1月、ここで藤子の二人は『漫画少年』との出会いを果たし、漫画家への道筋を決定的にした言わば伝説の地だが、入ってみると何でもない普通の書店で、3階建ての店内には文房具や学習書も揃っている。コミック売り場を見ても、特に藤子コーナーがあるわけでもなく、大漫画家との関わり合いを示すものは何一つない。この純朴さが嬉しい。何も買わずに出て行くのもナンなので、かねて買おうと思っていた文藝春秋の『日本の論点』を購入。高岡大仏古城公園、そして射水神社を巡る。神社には二人が相撲を取って遊んだ土俵も残っている。参拝し、おみくじを引くと見事大吉。『まんが道』では主人公の2人ともが凶を引き、後の挫折を暗示するシーンになっているのを思い出す。公園に掛かる橋で「涼子さんの馬鹿ーっ!! 僕の応援団長になってくれるって言ったのにーっ!!」と叫びたい気持ちをこらえて藤本(藤子F)先生の実家のあった定塚町へ向かう。家の場所までは特定出来なかったが、ドラえもんの原風景とも言える空き地があったりして微笑ましい。二人の馴れ初めの地である定塚小学校を遠目に見る。スーツ姿の人間がデジカメを片手に小学校をウロウロしていたら、通報されること請け合いなので長居はしない。その後、桜馬場通りを歩いて我孫子(藤子A)先生の住居跡を探す。現在はデリカビルという建物になっていると聞いていたが、果たして駅の近くに発見。駅まで戻ると、まだ時間に余裕があったので、高岡郵便局の場所を調べてみるとさほど遠くないことが分かったので歩くことにする。商店街に和菓子屋が散在し、何れもどら焼きを扱っている。もともと地元の名産なのか、それとも地元が生んだ漫画にインスパイアされてのことなのか分からない。どら焼には魅力を感じなかったが、商店街の外れの路地にたい焼屋があり、日が暮れかけて身体も冷えていたので買い求めることにする。「ひとつでも売ってくれますか?」と聞くと、方言の早口で言葉を返されサッパリ分からない。とりあえず笑顔で包んでくれてたのでムシャムシャ食べる。美味しい。暫く歩くと高岡郵便局を発見。建物は巨大なビルに変貌してはいるが、かつて二人が原稿を郵送したり、稼いだ原稿料を「公金」と称して共同貯蓄するのに利用していたところである。まだ窓口が開いていたので富山県限定の切手を買ってから駅に戻る。富山に戻る電車の出発5分前だったので切符を買って乗り込む。藤子A先生は毎日このホームから富山新聞社まで通っていたのだなぁと思っていると電車は帰宅ラッシュに重なり混み始める。とはいえ東京の比ではなく、無事に富山に戻る。僅かな時間だったが見学できてよかった。今度はゆっくり見て回りたい。夜、取引先の方と会食。駅近くの「昌五郎」で鮨を食べ、酒を飲みすっかり満足する。23時頃ホテルに戻る。