「つまり、好みのタイプだっていうことですよ」照れ臭そうに児島くんが言った。「川村さんだって、今までの恋愛とかもそうだったでしょ? どこを好きって言われたって、そんなの答えようがないじゃないですか。何となくいいなあって思って、そういう気持ちが少しずつ大きくなって、それが好きってことなんじゃないですかね」
そうかもしれない。人を好きになるのに、明確な理由なんてめったにあるものではないだろう。
出会って、何となく気になって、偶然とかもあって、親しくなって、いつの間にか好きになっている自分に気づく。そういうものなのかもしれない。

『年下の男の子』 五十嵐貴久・著

先日、大学の出身学科の就職懇談会なる催しに参加した。
これまで個人的なOB訪問には応じてきたんだけど、大勢の学生さんたちの前で話すのは初めての経験だった。錚々たるOB、OGの皆さまに囲まれて萎縮してしまったけど、現役の学生さんたちは一様にマジメで、思っていた以上に意識が高いというか、就職活動に向けた不安が大きいのだろうなと感じられた。駐在して体重が増えて戻ってきたのに、お会いする先生方には一様に「痩せた、痩せた」と言われてちょっと複雑な気持ちだったけど(笑)。
 
さる先生に話を伺って驚いたんだけど、就職以前に、学ぶことに悩みを抱えている人もいるらしく、「周囲の子みたいに高い目標を持って大学に入ったわけじゃなく、自分は何となくこの学科に来てしまった」って気後れして先生に相談してくる学生もいるらしい。
 
自分自身を振り返ってみると、取り立てて大きな目標があったわけでもなく、大学の志望動機は偶々むかしからフランス語を勉強してて、それを大学でも続けてみたい、高校で止めてしまいたくないというだけの理由だった。
そこから広がる未来なんて誰にも分からないとその頃から思ってたし、実際そうなってるけど、とにかく大学に入らなくちゃいけないっていう考えだけで突き進んできた人たちにとって、それから先の世界への想像力がそもそも存在しないのかも知れない。
 
そんな学生さんのケアーもしなくちゃいけない大学教授も大変な職業だなって思うけど、悩むのも迷うのも若さの特権だと思うし、「何となく」や「とりあえず」から始まるストーリーもあると思うんだよね。
お受験だと決まった答えなり合格ラインの得点があって、それに到達しさえすればいいんだろうけど、それだけに、自分自身の人生に決まった答えがないことが大きな障壁に思えてしまうのは分からなくはないけど、答えなんてすぐに見つかるわけがないんだよね。
個人的には、自分の一種の逃げ場を確保しておくのも大事なことだと思う。僕の場合は山のような読書とパソコンいじりというオタク趣味が自分を救ったと思ってるけど…
 
そういえば、懇談会で僕は「海外の人に触れて、未知なる文化に触れればそれだけ日本のことを説明する必要に迫られる。日本の文学について議論をふっかけられることなんてザラ」という趣旨の話をしたんだけど、「村上春樹の『ノルウェイの森』はフランス語でどういう題名かご存知ですか?」と訊いてみたら、学生の皆さんは一様にキョトンとしていた。最近の若い人はそもそも村上春樹なんて読まないんだろうか…(ちなみに仏語題は“La Ballade de l’impossible”
 

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五十嵐 貴久
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