東京都心と成田を最速36分で結ぶ新線・成田スカイアクセスが、今週土曜日(17日)に開業します。


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都心から遠く離れた成田空港へのアクセス改善については、1987年(昭和62年)、竹下内閣の石原慎太郎運輸大臣が、頓挫した成田新幹線用のプラットホームが空港の地下に眠っていることを聞きつけ、この遺構を使って在来線を乗り入れさせるように、と鶴の一声で建設が決定。「これを実現出来なかったらお前ら全員クビだ!」と官僚たちにハッパをかけた結果、僅か半年で建設公団が出来上がった。これには竹下首相も驚いて「あんたは案外、行政がうまいんだなぁ」と、独特の表現で褒めたと伝えられています。
大の官僚嫌いだった石原慎太郎も、この一件で、トップたる大臣がきちんと責任を持てば、官僚は確かな仕事をしてくれるものだということを強く認識して、これが後の都政に活かされることになります。

ところで、空港アクセス鉄道建設については、当初の予定になかった2つのポイントがあります。1つは、元々はJRだけを乗り入れさせる計画だったのに、京成も乗り入れさせることにしたこと(なので、空港第2ビル駅は単線)。これには、興銀(現在のみずほコーポレート銀行)が京成のメインバンクで、というか不振だった京成に興銀が経営陣を送り込んでいたことから、大臣の出身大学の先輩にあたる興銀の幹部が運輸省に乗り込んできて京成の乗り入れを認めさせたという話があり、しかも興銀には大臣の三男・宏高氏が勤務していたなどという、今だったらどれだけ叩かれていたか分からない裏話があったりします。そしてもう1つは、地元千葉県への見返り。千葉県内を素通りしてしまう高速鉄道には地元の反発が予想されていたのだが、石原大臣が、地元選出の山村新治郎議員(あの「よど号」ハイジャック事件で、単身人質の身代わりになってピョンヤンまで飛び、無事帰国して「男・山新」のキャッチフレーズで連続当選)とサシで面談。当初は難色を示していた山新も、最後は「よし、県の説得は俺がやる」ということになり、見返りとして、成田新幹線を当て込んで開発して陸の孤島になってしまった千葉ニュータウン(印西市・唯一の途中停車駅として計画されていた)について、将来人口が増えたら空港と必ず接続させる、という紳士協定が結ばれたそうな。

今回の成田スカイアクセスは、その紳士協定が実に23年を経て果たされ、かつ京成のターミナル乗り入れが活かされたというわけですが、時は流れて現在京急電鉄が、国際線が飛ぶことになった羽田空港へのアクセスを充実させつつあり、今後は両空港を結ぶ動脈としての役割が期待されます。それにしても、羽田の国際化を推進しているのが、ほかならぬ当時の運輸大臣・石原慎太郎都知事というのは歴史の皮肉でしょうか。京成・京急をつなぐ都営浅草線に、東京駅を経由するバイパス線を新設する(これにより空港?都心のアクセス改善と共に、地下鉄線内の追い抜きが実現し一石二鳥)話もあり、都営地下鉄の東京メトロとの統合話を含め、首都圏の鉄道を巡る興味深い動きが、近い将来に起こるような気がしています

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