三島由紀夫と聞くと、切腹した狂気の作家という印象がどうしてもついて回るが、同じ時代を生きた人たちによれば、三島というのは一種のアイドルであったそうな。
その三島が若者向けの雑誌に連載していた「若きサムライたちへの精神講話」というコラムと、その他の対談をまとめたのが本書。


流石に時代を感じさせる記述もあるが、澄み渡る思考から迸るような情熱が伝わってきて、非常に読み応えのある一冊になっており、とりわけ、未来に関する彼の思考は非常に興味深い。

若きサムライのために
若きサムライのために

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三島 由紀夫
文藝春秋 (1996/11)
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しかしきみ、革命ってのは、”今日”よりも”明日”を優先させる考え方だろう。ぼくは未来とか明日とかいう考え、みんなきらいなんだ。
未来社会を信じる奴は、みんな一つの考えに陥る。未来のためなら現在の成熟は犠牲にしたっていい、いや、むしろそれが正義だ、という考えだ。
未来社会を信じない奴こそが今日の仕事をするんだよ。現在ただいましかないという生活をしている奴が何人いるか。現在ただいましかないというのが”文化”の本当の形で、そこにしか”文化”の最終的な形はないと思う。
小説家にとっては今日書く一行が、テメエの全身的表現だ。明日の朝、自分は死ぬかもしれない。その覚悟なくして、どうして今日書く一行に力がこもるかね。その一行に、自分の中の集合的無意識に連綿と続いてきた”文化”が体を通じてあらわれ、定着する。その一行に自分が”成就”する。それが”創造”というものの、本当の意味だよ。未来のための創造なんて、絶対に嘘だ。三島のいうことには未来のイメージがないなんていわれる。バカいえ、未来はオレに関係なくつくられてゆくさ、オレは未来のために生きてんじゃねェ、オレのために生き、オレの誇りのために生きてる。言論の自由とか、自由の問題はこの一点にしかない。未来の自由のためにいま暴力を使うとか、未来の自由のためにいま不自由を忍ぶなんていうのは、ぼくは認めない。「欲しがりません勝つまでは」などという言葉には、とうの昔に懲りたはずじゃないか。

三島自身の口から語られる言葉が満載であり、彼の思考を知ることで、外人にミシマの話題を振られても困らないこと請け合いである。