朝7時過ぎに起き、朝食を取ってからチェックアウト。御殿場に向かい、プレミアム・アウトレットへ。幸い、開店前の時間ということもあり道はガラ空き、構内の駐車場に難なく収まる。あちこちで買い物をして、すっかり満足する。午後、近所にある秩父宮記念公園へ。かつて結核療養のため秩父宮殿下(昭和天皇の一歳違いの弟宮)が御別邸として過ごされていた場所が下賜され公園となったもので、御殿場に来るからには訪れてみたかったのだ。広大な森を抜けた先にある、萱葺きの小じんまりとした家屋が当時の姿を今に伝え、庭には登山中の殿下を摸した銅像が富士山の方向を向いている。この場所で、時として殿下は自ら畑仕事をされたり、農作物を献上しにきた地元臣民を御別邸に上がらせ親しく会話をなさることもあったという。隣接する近代的な建物は、戦後勢津子妃殿下が実際に使われていた邸宅だが現在は御遺品の展示スペースとして活用されており、お輿入れの道具などを見ることができる。勢津子妃は、孝明天皇の寵愛を受けつつも戊辰戦争で逆賊・朝敵の汚名を着せられた松平容保公の孫娘にあたり、皇弟である殿下との婚儀は、汚名を雪ぐものとして会津人たちを大いに勇気づけたとも伝えられている。そんなことを思いながら、葵の御紋の入った漆の重箱などを拝見。少し離れたところにある売店で絵葉書を買ってから、御殿場を後にする。高速に乗るが、途中事故渋滞でノロノロ走行を強いられる。首都高に入ってからは概ね順調に走り、深川のデニーズで夕食。家に帰り、買い込んだ品々を家に運んでから、近所で給油してクルマを返す。
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箱根
朝7時半に起き、身支度をする。八重洲まで歩いて、日産レンタカーでマーチを借りる。現行型を運転するのは初めてだが今一つ操縦感が慣れない。どちらかというと、デミオの方がしっくりくる。妻が借りていた本を京橋図書館に返し、ETCカードを忘れたので一旦家まで戻ってから再出発。時間の縛りがないのでノンビリしている。首都高?東名高速をスイスイ走る。小田原厚木道路に乗ってあっという間に箱根湯本に到着。チェックインまで時間があったので、駅前付近を散策。会社のお土産に温泉まんじゅうを買う。夕方、宿に落ち着き、早速入浴。身体がポカポカになる。夕食はバイキング形式、とのことで実のところ余り期待はしていなかったが、思いのほか種類も多く味も悪くない。たらふく食べて部屋に戻り、再び入浴。夜、『男装の麗人』を見てから眠る。
高松旅行記(3): Today is Monday
昨日と同じように、8時過ぎに起きて朝食。チェックアウトを済ませ、荷物を預かって貰う。琴電に乗り、栗林公園駅で降りて、昨日とは反対方向に歩く。10分ほど歩いたところにある「大円」でうどんをすする。麺は柔らかいのにコシがある不思議な触感。妻が疲れるといけないので、帰り道はバスに乗ることにして、30分待つ。琴電にしても1時間に3本しか来ないから、この町ではいきおい暮らしがのんびりするのだろう。ようやく来たバスに乗り高松駅で降り、ぶらぶら散策する。兵庫町の「こんぴらや」で再びうどん。美味しい。三越の地下で地元の和三盆加寿貞良(カステラ)を買った後、ライオン通りのカフェで一服して、帰りのバスに乗るためホテルで荷物を引き取る。高松は空港までの交通手段が自動車しかないので、いきおいバスが混む。今回も、乗ろうとしたバスは始発の高松駅で既に満席になってしまい、後発の別便に乗らざるを得なかった。ともあれ、座ってしまえばやることはなく、ウトウトしているうちに空港に到着。チェックインを済ませ、実家や会社への土産物を整えてから、保安ゲートに並ぶが超大渋滞。日航と全日空の羽田行が5分差で出るダイヤのため、両便に乗る乗客が一気に押し寄せて、ローカル空港のキャパシティでは対応できなくなってしまっている。とはいえ、日航1408便はきちんと定時にゲートを離れる。離陸早々、機体がガタガタと揺れる。どうやら気流が良くないらしい。ようやくベルト・サインが消えたので、さっさとお手洗いを済ませておく。ドリンク・サービスが始まり、往路と同じくスカイタイムを飲んでいると、アナウンスが流れて、間もなく乱流が予想されるので、サービスを中断して乗務員も着席します、との報せ。どれだけ揺れるのかと身構えていたら、機体がフワっと落ちるような軽い乱れが一回あったきりで、殆ど揺れることはなかった。恐らく、この便の機長は「臆病者と呼ばれる勇気」を持って、乗務員を着席させたのだろう。羽田空港には定刻に着陸し、京急?浅草線直通?日比谷線のルートで帰宅。お腹がいっぱいなので、夕飯は食べずに軽くお茶するだけにして眠る。
高松旅行記(2): Walk Don’t Run
朝8時に起き、ホテルのレストランでバイキングの朝食。讃岐うどんまで並んでいるが、ご飯にしておく。そのまま外に出て、高松築港駅から琴電に乗り、途中乗り換えをして屋島に向かう。元・京浜急行1000形が走っているのが面白い。また、琴電で導入されているICカードは、Suicaの向こうを張ってIruCaと名づけられており、キャラクターの「ことちゃん」が、そこかしこに貼り出されている。屋島駅からシャトルバスで屋島山へ。屋島寺にお参りして、古戦場を山上から眺める。桃太郎の「鬼が島」のモデルになった女木島も近くに見える。再びバスで山を降り、駅近くの「わら家」でおろしぶっかけうどんを食べる。美味。すぐ隣にある屋島神社(讃岐東照宮)を参拝。琴電で栗林公園に向かい、散策。旧藩主・松平家の大名庭園がそのまま残されていて楽しい。お茶屋で串団子を買って食べる。秩父宮殿下、高松宮殿下お手植えの松の木を鑑賞。昭和天皇お手植えの松は、残念ながら落雷で枯死してしまった由。市内を歩き、「かな泉」でまたうどんを食べる。瓦町まで歩き、天満屋を覗く。ちょうど北海道物産展をやっており、高松に来たのになぜか「白い恋人」を買ってしまう。ホテルに戻り、荷物を置いてから近所の「寄鳥味鳥」で夕食。30分くらい並んだが、それに値するだけの味に満足する。食後にうどんでしめようかと思ったが、思いのほかお腹がふくれたので、そのままホテルに戻り、買っておいたケーキだけ食べて眠る。
高松旅行記(1): Dream Skyward.
今日から11月。朝5時半に起きる。眠いが着替えて家を出て、日比谷線?京急直通の都営浅草線で羽田空港へ。浅草線は思いのほか混んでいる。羽田空港には7時20分に到着し、チェックイン・カウンターに並ぶ。三連休の初日だけあって早朝でも大行列。自動チェックイン機は、普段なら素早く進む筈だが、手順に慣れていない客が多い所為か、むしろ有人の方が流れが良い。カウンターに物凄い人数の係員がいるので驚くが、よく見ると後列の人たちは皆研修生。必死にメモを取り、時には一緒に作業をしている。保安ゲートに向かうと、妻のコートが金属探知器に反応してしまい、厳重なチェックを受けているうちに搭乗時間ギリギリになっていしまう。JAL1403便はA300-600R、ということは旧JASの機材と乗員。離陸後、ドリンクサービスで久しぶりにスカイタイムを飲む。ひと眠りしているうちに飛行機は高松空港に定刻9:20に着陸。
アフリカ出張記(13): Time to Destination
眼が醒めると朝食の準備が始まっている。クレープとカフェオレを頼む。成田空港に定刻7:55に着陸。今まで面倒だったのでネグっていた検疫検査表を提出する。特段何を聞かれるでもなく、職員が引き換えに黄色い紙片をくれる。読んでみると、「この人は感染症に罹っている恐れがあるので診断の際は早合点しないように」という医師への通達。帰国後具合が悪くなって病院に行ったらこれを出せということらしい。荷物の引き取りを終え、税関を無事に突破。クルマで帰る役員と別れ、成田エクスプレスのチケットを買う。着席すると、途端に眠くなってくるが、ここで寝ると時差ボケが酷くなると思い我慢する。東京駅からタクシーに乗り、出社。上司に無事の帰国を報告し、丸2日着替えていないのでまずは着替えて体を拭く。機内でまとめておいた出張報告をプリントアウトして推敲する。出張の間、山のように積み上がってしまった書類の山を片付ける。午後、上長に呼ばれて、来週から入社する方のメンターになるよう命ぜられる。この僕に務まるというのか。21時過ぎに会社を出て、タクシーで帰宅。約2週間ぶりに妻と再会し、荷物を解く。日付が変わる前に眠る。
アフリカ出張記(12): Here is Our Street
ひと眠りしているうちに明け方になり朝食が供される。まだ真っ暗のシャルル・ド・ゴール空港に約45分の遅れで着陸。僕自身のトランクは成田までスルーだが、他の同行者が預けていた荷物が出てくるのを暫く待つ。同じ便に乗っていたフランス人ビジネスマンと役員がフランス語で談笑している。この役員がフランス語を解することは知っていたが、ここまでペラペラとは思わずたじろぐ。タクシーでパリ市内へ。真っ暗の高速道路を走る。途中、朝の渋滞に巻き込まれ、パリ支店への到着が予定よりも遅れてしまう。挨拶もそこそこ、近所にある取引先を表敬訪問。話が思いの外盛り上がり、1時間以上も歓談。辞去した後、役員が支店のそばの店で靴を買うというので、下々は近所のカフェで休息。夏の旅行ではパリ市内を歩かなかったこともあり、実に久しぶりにこの街の匂いをかぎながらコーヒーをすする。役員の買い物が終わるのを待って、タクシーで再び空港へ。我々がビジネス客であることを見てとって、運転手が猛然と飛ばしてくれ、30分もかからず第2ターミナルに到着。オランダに向かう社員と別れ、役員の免税手続きを手伝う。
「なんだ、凄い行列だな」
「これが目的でパリに来る日本人が大半ですから。今はまだ少ない方ですよ」
「そうか」
出国後、ラウンジに落ち着いてから、役員を置いて免税店で買い物。搭乗まで時間が殆どないので、クッキーなどを見境なく買い漁る。搭乗しようとすると、役員が、グランドスタッフに何やら説明を受けている。ファースト・クラスの乗り継ぎ客には構内を歩かせないよう専用のクルマを用意しているので次回からはどうぞお使い下さい、と丁重に言われた由。今回は空港の外に出て仕舞っているのでどの道関係ないのだが、およそフランス人らしからぬお節介ぶりに、役員も苦笑い。エールフランス276便は定刻の出発。16年前、生まれて初めてフランスに来た時に利用したのと同じ便なので感慨深い。当時はまだ喫煙席が存在していて、引率の先生がプカプカと吸っておられたことを思い出す。あの頃ジャンボ機だった機体はB777-200に変わっているし、座席も今日はビジネス・クラス。時間はもう引き返しはしないのだな、と妙な気持ちになる。わざとらしいまでに愛想の良いスチュワードに背広の上着を預けて腰掛ける。離陸後間もなくして食事が供される。昨晩食べたばかりのフォアグラをまた食べてしまう。変わらず美味しい。メインディッシュはチキンにする。眠いのをこらえてレポートを書きあげ、日本時間の27時過ぎにシートを倒してひと休みする。
アフリカ出張記(11): Birthday Boy
朝6時過ぎに起きる。眠いが、お湯が出るようになったのでシャワーを浴びて身支度を整える。ホテルをチェック・アウトしてから客先を訪問。官庁なのにエレベータが故障しており、8階(日本式の9階)まで階段を昇る。面談を終え、近所のカフェで休憩。まるで欧米のようなつくりで、ショウケースにはパンやケーキも並んでいるのが眼を見張る。イタリアン・レストランで昼食。ピザとパスタを頼む。ピザは美味しいが、パスタはまるで冷凍食品のようで正直言って頂けない。午後、アポイントがもう1件入ったので出かける。面談後、そのまま空港に向かう。夕方の渋滞に巻き込まれそうになるが、何とか切り抜けて到着。ここでお別れとなる南アの駐在員にお礼を申し上げてからチェック・インを行う。が、機械が故障して手続に時間を取られる。ようやく自分の番になる。エール・フランスなのでフランス語が通じ、チェックイン・バゲッジは成田まで直送するよう依頼する。と、職員が突然、”Ah!”と叫ぶので怪訝な顔をすると、「アナタ、今日誕生日だね。おめでとう!」と言ってくる。
「よく分かったね。32歳だよ。」
「だってパスポートに書いてあるじゃんか。」
こんなやり取りの後、無事出国を果たしてラウンジで休憩。ラウンジとはいっても、1970年代のような趣のホールで、飲み物は2杯まで無料だが3杯目からは3ドルだとか、トーストは半切れで5ドルだとかいろいろうるさい。とりあえず、ビールとポテトチップスを確保して一息つく。普段は酒を余り呑まないが、アフリカでの仕事が全て終わって安心したのでカールスバーグをゴクゴク飲む。ビールはこんなに美味しい飲み物だったかと思う。AF929便はB777-300。ゆったりしたシートに身を沈めるとたちまち眠りこけてしまう。いつ離陸したのかも分からないまま、眼が醒めるとミール・サービス。久しぶりにフォアグラを食べる。濃厚で美味しい。メインディッシュは牛肉のシチューにするが、肉が固くてさして美味しくない。デザートのシャーベットを食べた後、座席を真っ平らにしてまた眠ることにする。
アフリカ出張記(10): The China Syndrome
朝5時半に起きて、さっさと着替えてホテルをチェックアウト。空港に向かうと、物凄い混雑。とりわけ、これから乗るアンゴラ行きの便は満席で、長蛇の列ができており、搭乗クラスに関係なく一列になれと言われる。すると、スターアライアンス・ゴールドメンバー専用カウンターがガラ空きなのが眼に入ったので、役員と支店長を促して向かう。アンゴラ行きはここではダメだ、とゴネる職員に、そんな筈はない、急いでいるんだ、と凄んでチェックインをして貰う。出国し、ラウンジで朝食代わりにマフィンを食べ、搭乗までの空き時間を利用して土産物屋で少しだけ買い物をする。出発ゲートに向かうと、物凄い人混みに圧倒される。大半が中国人労働者。無秩序に蠢く大行列に身を任せ、何とか搭乗。多くの乗客を捌くためか、長距離用のA340-600があてがわれており、4時間足らずのフライトなのにシートが真っ平らになる。おかげでぐっすり眠る。アンゴラのルアンダ空港には定刻よりも早目に着陸。降機して連絡バスに乗り、ターミナルの建物に着くや、皆我先に入国カードを奪うように受け取る。この国の決まりで、イエローカードを一枚一枚確認した上で入国カードを配ることになっており、早く受け取らないことには入国手続き自体が遅れることになってしまう。ビジネスクラスだったこともあり、殆ど待つことはなかったが、エコノミークラスで降り立つと、中国人同士が乱闘さながらにカードをひったくってゆくのだという。無事入国は果たしたが、荷物がなかなか出て来ずやや心配になる。20分近くたって漸く出てきて、税関の荷物検査に臨む。女性の検査官が、早口でアフリカ訛りの英語でまくしたててくる。
「ごめん。ゆっくり話してくれる? フランス語話せない?」
「え、フランス語? それは無理ね。これは何?」
「お客さんのギフトだけど」
「中身を見せて」
「包装ほどいちゃったらギフトにならねえだろ」
「いいから開けて」
哀れ、包装紙はぐちゃぐちゃに。ともあれ、何も没収されることもなくアンゴラの地に降り立つ。現地のエージェントの車でホテルへ。物凄い渋滞と、埃っぽくて薄汚れた街並み。これぞアフリカという感じがしてくる。ようやく渋滞を抜けホテルに着くが、社会主義時代の名残か、チェックインの手続き自体が面倒で、かつ従業員の動きが緩慢。30分以上も待たされてから部屋に入る。内装は一応キレイになってはいるが、いかにも古めかしいつくりで部屋の中はカビ臭い。これでもルアンダ市内で一番のホテルだというから、二番以下はどうなっているんだろかと考えてしまう。荷物を置いた後、客先を2か所訪問。夜は、ポルトガル料理のレストランに向かう。前菜にムール貝のグラタン、メインディッシュはポルトガル風ステーキなるものにすると、クリームソースの上にステーキが乗っかり、ポテトが沢山盛られていて美味だった。物凄く眠くなってくる。日付が変わる前にホテルに戻り、お湯が出ないのでタオルで体を拭くだけにしてベッドにもぐる。
アフリカ出張記(9): Looking for a Rainbow
朝7時過ぎに起きて、9時前に朝食。シャツと背広をクリーニングに出しておく。10時過ぎにホテルを出て、支店長の案内でプレトリア近郊にある、オランダ系白人がつくったフォールトレッカー・モニュメントを見学。ピラミッドのような威容だが、これもみんな奴隷の黒人がつくったのかなぁなどと考える。その後、ヨハネスブルグに戻り、アパルトヘイト博物館を見学。こんな明からさまな人種差別が、現代に至るまで続いていたことに驚く。オランダ人の心根にあるメンタリティというものなのだろうか。ホテルへの帰途、カフェ・レストランに立ち寄りハンバーガーを食べる。この界隈は高度なセキュリティで守られていて、車の出入りもいちいちチェックを受けるので、治安の悪いヨハネスブルグでも安全に外を歩けるのだという。確かに賑やかだ。食後にアイス・コーヒーを頼むと、バニラアイスとコーヒーを混ぜた一種のシェイクが出てきて驚くが、甘くて美味しい。午後、ホテルに戻ると、早くもクリーニングが仕上がっている。再びショッピング・モールをうろつく。日曜日なので、早く閉まる店も多いが、昨日も冷やかした大きなスーパーマーケットを歩く。夜、支店長宅で、駐在員とその家族を集めての夕食会に招かれる。あれこれともてなして頂き恐縮する。先日会った元の上司も来ていて、妙に積極的に話しかけてくる。上司だった頃には殆ど口も効いてくれなかったのだが。こういう席で場の雰囲気をぶち壊しても詮無いので、取り敢えず普通に会話する。その元上司、以前僕もシゴかれたこともある別の上司のことを「アイツのフランス語は大したことないんだろ?」などと言ってくる。僕は間近に接してその方のスキルの高さを知っているので「あの方は時々吃音は出ますけど、バリバリに出来ますよ」と反論する。どんなつもりで言い出したのか分からないが、せめてご自身がフランス語を話せるようになってから他人のスキルを評論すべきだろう。まぁ、この人物らしいと言えばその通りかも知れないが、人の言い草を悪く受け止めようとすればいくらでも悪く言えるということも事実なので、自戒を込めて必要以上の反論はしないことにする。この御仁の二度目の奥さまもお見えになっていて、役員が、「失礼だけど、この中で一番お若いご夫人はどなた?」と聞かれてその奥方がやや恥ずかしそうに手を挙げていたのが印象的だった。あれこれと飲み食いして、帰ろうとしたら、例の御仁が「ミズノ、ありがとう」などと言ってくる。別に礼を言われる筋合いもなく、どういうつもりで口にしたのか皆目見当がつかないが、自分が役員の面前で悪く言われることもなく、安心して思わず出てしまったのだろう。あぁ、この人は全く変わらないんだなぁ、と思いながら、適当に挨拶して支店長宅を辞去する。ホテルに戻って、荷物をまとめてから床に就く。