高3の3学期、土日のセンター試験と成人の日の連休が明けた、火曜日の早朝に大震災が起きた。
家を出る前のニュースが「死者3名」と報じていたのを覚えている。

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高3の3学期、土日のセンター試験と成人の日の連休が明けた、火曜日の早朝に大震災が起きた。
家を出る前のニュースが「死者3名」と報じていたのを覚えている。
1988年秋、米海軍の駆逐艦が東京湾沖で海上保安庁の巡視船をめがけて射撃訓練をしていたことが判明した。
模擬弾であり、仮に被弾しても実害はないというのがアメリカ側の説明だったが、重大な主権侵害には違いない。
昭和62年11月21日、三宅島噴火。
溶岩がどんどん流れ出て、役場のある元町に近づいていた。溶岩が海に到達すると、激しい水蒸気爆発が起きて多くの島民の命に関わる。政府の指示で、全島民が船で避難することとなった。
自衛艦のほか、南極に向かっていた観測船「しらせ」も救援に向かったのだが、実はこの全島民避難は、何の根拠法もないまま官邸(中曽根康弘総理、後藤田正晴官房長官、佐々淳行内閣安全保障室長)が勝手に決めたこと。東京都ほか所轄官庁を飛び越えた上に、国民の権利を不当に制限する憲法違反と言われても仕方のない措置だった。
この時、中曽根総理が言ったとされる言葉:
「私が全責任を持つ。佐々安保室長、やれ。」
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