小学校の時に聞かされた、天国と地獄の違いについての宗教講話を時折思い出す。
「地獄には円卓があって、各人が食事を取っている。ただ、やたらと柄の長いフォークとナイフを持たされているので、思うように料理を取ることが出来ない。やがて、各人が肘の当たる当たらないで揉め事を起こし、果ては料理の取り合いをする騒ぎになった。
一方の天国にも、同じように円卓があり、やはり各人は柄の長いフォークとナイフを持たされている。ただ、ここの住民たちは、柄の長さを利用して、お互いの向かい側に座った人に食事を取り分けてあげている。そして皆がゆっくりと幸せに食事を取っていた。
このように、地獄と天国の見た目は大きく変わらない。他人を慈しむ心があるかどうかで天国は地獄にもなるし、その逆もまた然り……」


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Yes, I am rich. Not in terms of how much I have, but how much I can give.
– Larry Wall

リッチかどうか、は自分の手金の多寡が決めるのではなく、自分の持てるもの(おカネや所持品に限らず、能力、技術、知識、人脈、時間、等々)を与えられるかどうか、にかかっている ? そう思えば、誰でもリッチにはなり得るし、自分がリッチでないと思うことは、即ち自分の持てるものをシェアーしたくないだけのこと、ということになる。
僕はこれまで、ある程度恵まれた環境で育ってきたと思うが、シェアーできるものは周囲とシェアーしてきたし、それを評価しろなどと言うつもりもないが、自分の育ちをとやかく言われる筋合いはないだろうと思っている。しかしながら、大学の頃には、水野の家は金持ちだとか、ブルジョワだとか、あたかも悪いことをしているかのように言われることが少なくなかった。現実には、そういう人たちの家族の方がインカムが多いんじゃないか、と思うこともあったのだが。
人それぞれにリッチになる方法はあるし、自分以外の存在をも豊かにすることは誰にでも出来る筈なのだが、あの頃僕に後ろ指を差していた人たちは、一体今どこで何をして何を考え何を思っているのだろうか、と振り返ることがある。

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