数年前、僕を今の会社に紹介してくれた方に、転職を志向する動機を訊かれた時のこと:

「うちの会社、お化粧してるんですよ。帳簿を。みんなで」
「えっ…? だって… 日本を代表する大企業でそんなことしてるわけがないじゃないですか」
「だからしてるんですって」

世界中が真実を知ってしまい、本丸天守閣が大炎上している今から眺めれば、いかにも滑稽な会話に聞こえるかも知れないが、後になって評論するのはたやすいことであって、誰もあの日の彼女の反応を笑えはしまいし、あの時点で、僕の言葉を信じた人は一体どれだけいただろう。
親しい友人に話をしたとしても
「まーたミズノが変なこと言ってるよー」
くらいで処理されていたかも知れない。

我々の多くは、外向けのいい顔、表面上のイメージ、公式のコメントといったものを鈍感かつ無条件に受け入れてしまい、ネガティブな話が聞こえてきても「そんなわけがない」「どうせ悪質な悪口やクレーム」といったひと言で済ましてしまいがちではなかろうか。

「だってテレビで言ってたもん」
「新聞に書いてあったもん」
「雑誌で絶賛されてたもん」
「○○さんが言ってたもん」

自分で考える意思を放棄してしまうと、平気でウソをつく人たちにまんまと騙されたり、真実が明らかになった後、どうにもならなくなってから
「私は騙された!被害者だ!」
などと言い出す愚かな姿を晒すことになりかねない。

危機というのはなかなか表面に出てこないからこそ危機なのであり、普通に考えたらおかしいことが普通に起きているからこそ危機なのであり、危機を危機と認識できない鈍感さが被害を無限に拡大しかねないということを認識しなければならない。
そうならない為には、自分の感性、知識、経験を総動員して、「おかしい」「変だ」「違う」と判断できるだけの価値基準を持たなければいけないのだと思う。

ノアの方舟づくりを笑っていた人たちは、一人残らず洪水で死んだ。
僕は死にたくない。