旧知だった菅直人議員が総理になり、請われて内閣広報室審議官となった筆者。が、平成23年3月11日、総理が外国人(在日韓国人)から献金を受けていた事実を朝日新聞が朝刊の1面に報じていた。数日前、同じく在日韓国人からの献金で前原外相が辞任したばかりで、首相の進退きわまるかと思われた矢先、
「これから、どういう手を打ちますかね」 と深刻な顔で話していた、ちょうどその時、午後二時四十六分。
官邸が、大きく揺れた。
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筆者の下村健一は、小学生の頃朝のTBSのニュース番組のキャスターだったのを覚えている。随分ハンサムで頭の良さそうな人だなと幼ごころに思っていたのだが、本書を読んでいても、思考の明晰さは伝わってくる。
東日本大震災の翌朝、総理が自ら福島第一原発を訪問したことを問題視する報道に反論して筆者はこう綴る。
マスコミや事故調は、「直接介入はダメだ」と結論づけるのならば、<<最終判断すべきトップに情報が来ない時に、トップはどうするか>>の代案を示しておかないと、万一に次の事故が起こった時に、本当に困ることになる。(中略)「それでもトップに情報が来なかったらどうするのか」「直接介入がダメだと言うのなら代わりの策は何なのか」について<<リアリティある代案>>をきちんと示してほしい。
内閣には、緊急事態対処の際に官邸が省庁の壁を超えて主導できるよう、平成10年に内閣危機管理監が設置されている。英文呼称”Deputy Chief Cabinet Secretary for Crisis Management”(危機管理担当内閣官房副長官)で示したほうがその地位と役割が明確だと思う。中曽根政権下で一種の「令外の官」として拵えられた内閣安全保障室(昭和61年発足、あの佐々淳行が初代室長)を、おそらくは平成7年の阪神・淡路大震災で後手後手になった政府対応の反省から、正式に内閣官房の幹部に格上げして、イニシアチブを取りやすくしたポストといって良いと思う。
緊急事態における官邸と各省庁との調整、情報の確保、総理大臣・官房長官への報告一元化は、少なくとも佐々安保室長時代にはできていたし、当時よりも運用しやすくなっている政府の仕組みがあるのに、民主党政権が全く使いこなせなかっただけではないのか。「脱官僚」などと言いながら、その実、官僚の使い方を知らなかっただけではないのか。
「リアリティある代案」も何もあったものではあるまいに、あくまでも自分たちは悪くないという前提をゴリ押しする左翼論法は卑怯で拙劣という気がする。
また、筆者はこうも述べる:
原子炉より前に、まず<<人間のストレステスト>>が必要だ。突然の訓練に対応できた人だけに、初めて責任あるポストを与えるようにしなければ、一般国民の方がストレスから解放されない。送り込まれる当人たちだって、適性に合わない重大な責任を負わされて、総理の前でなすすべなく委縮している姿は、気の毒でしかない。<<人間のストレステスト>>が必要なのは、各原発の発電所長ら、電力会社の上層部、原子力規制委員会のメンバー、政府の事故対応当事者など、判断にかかわる人が皆該当する。もし合格者が足りないなら、その原発は、いかに設備が安全と認定されても、稼働してはならない。最高性能のスーパーカーを、資質も確かめていないドライバーに委ねるのは、もうやめた方がいい。
確かに正論のように思えるけれど、「政府の事故対応当事者」のトップは彼が仕えた菅直人総理大臣その人であって、その総理が<<人間のストレステスト>>なるものにはとても耐えられない人種であろうことは、聡明な筆者ならば気づいていないわけがあるまいに、なぜか言及しようとしない。これまた左翼論法と言えばそれまでだけれども。
そして、自分たちに都合の悪いことは棚に上げて、他者を責め立てることだけに熱心な、この手の左翼論法に彩られた偏向報道を、今なお当たり前のように多くのマスメディアが撒き散らしているであろうことを思うと、肌に粟立つものを感じずにいられなくなってしまう。