1996年9月、10代最後の夏の終わりに起きた衝撃的な事件。
 
バイト仲間だった学部の先輩が、留学を2日後に控えた自宅で何者かに殺された上に放火。僕を含めバイト仲間は皆捜査一課の事情聴取を受け、マスコミのカメラの砲列の中葬儀に参列して、ドラマやワイドショウで見た光景に自分が登場人物となったことに戸惑いながらも、この現実から眼を背けてはいけないんだと僕は自分に言い聞かせていた。事件後体重が一気に5キロ減り、バイト先の社員から「ミズノ、お前大丈夫か。本当に大丈夫か」と心配されもした。
 
この事件、ご尊父のご尽力の甲斐あって時効が廃止されたけど、19年経った今もなお犯人は捕まっていない。ご尽力といえば、毎年命日の頃に法要が営まれ、幼馴染や学生時代の友人たちが招かれている。僕もある年から招いて頂いているのだが、ご尊父が幽顕を異にした娘の為にここまでするのは、犯人を逃がさないという執念は勿論のこと、娘がこの世にいたことを、誰にも忘れて欲しくないんだという文字通りの異議申し立てなのだろう。
 
ひとの命というものが何とも呆気無く消えてしまい、当たり前の日常はいとも簡単に粉砕され、じゃあまたねのまたはないかも知れないと思い知らされてから、僕は自分の人生の歩み方、他者との関わり合いを考え直すようになったと思う。また会えると思っていた人と、二度と会えなくなってしまった時、僕に出来ることは何なんだろう。折を見て墓参はしているけれど、確実に風化する記憶を手繰っても、彼女の姿はいつまでも21歳のまま。
 
一生かかっても消えない後悔を、僕は今でもどこかに抱えているから、せめて、今会える親しい人たちには、自分に出来るだけのことをしてあげたいと思っている。「ミズノ君は恋人でもない私に優しすぎる」と若い友人に文句(?)を言われたこともあるけど、これ以上後悔するのはゴメンだし、僕なりの、過去を忘れない方法の一つでもあるのだ。
 

さよならの挨拶を (角川文庫)
山川 健一
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