僕はある航空会社の上級会員資格を持っているので、空港では優先カウンターで手続きをしてもらえる。
ある時、成田で優先カウンターに向かおうとしたら、地上係員に「ゴールドメンバーの方でしょうか?」と制止された。口調と顔色で向こうの意図は分かる。会員証を見せたら一転していつもの過剰なまでのお客様モードになったんだけど、彼女が一瞬見せた冷たさが気になった。
それから10年後、初めて中国本土に出張した時のこと。騒然とした出発ロビーでは、ゲートオープンまでかなり時間があるのに長蛇の列。そして、空いている優先搭乗口に平然と並ぼうとする人たちを、地上係員がチケットを確認して逐一追い払っている。学校の先生のような厳しい口調で接する彼女たちを見て、僕はあの時この人種と間違われてたことに初めて気がついた。機内でも乗客たちの多くは大声で話を始め、ドリンク・サービスが始まれば自分の水筒を取り出し、ここにジュースや水を満杯に入れろと大声で要求している。客室乗務員も疲弊しているのが見て取れた。
ここで述べたいのは、他民族への差別ではない。将来我が国が移民を受け入れるとしたならば、我々がふだん当たり前に備えているマナーや不文律を全く理解しない人たちが日常のあちこちに登場するということであって、我々はその為の心の準備ができているのかということ。我が国は今までも単一民族国家ではないけれど、それでもコモン・センスとして国じゅうに浸透してきた徳目を、これからやってくる移民が守るとは限らない。
曽野綾子の論文が世間で叩かれてるけど、叩いてる人たちは我が身に降りかかってきた時、即ち、公共交通機関で列も守らず大声を張り上げる集団だけでなく、マンションの隣室で突然凄い匂いのお香を焚く住人がいたり、街頭で突然大勢の人がお祈りを始めるかも知れない、そうした光景をキモイとかコワイなどと言わずに、受け入れられる覚悟が本当にあるんだろうか。