日航機墜落から29年。今年もあの暑い日がやってくるんだなぁという感慨を持つ。小学3年生だったあの日の記憶は、20時前にNHKの特別ニュースが流れ、騒然とした日航本社が映し出された所から始まっている。
事故調査委員会の公式な事故原因とされる「しりもち事故」での手抜き修理で与圧隔壁が破壊され内部から垂直尾翼を壊したという話は何度読み返しても要領を得ない。かといって、一部で根強い自衛隊の戦闘機や無人標的機が接触したとの説にも頷きがたい。日本の組織風土からして、そんな秘密が29年間も全く漏れないのは逆に不自然。
ただ、墜落直後に米軍や自衛隊が救助を始められる態勢だったにも関わらず、翌朝まで現場が放置されたのはいかにも不自然で、1983年の大島三原山噴火・全島民避難に際しての国土庁の対応を酷評した佐々淳行氏が、なぜか本件について沈黙していることも不気味さに拍車をかける。
僕の推測では、123便は垂直尾翼尾部の方向舵がフラッター(翼がバタついても通常は空気の流れによって減衰するものが、高速時に一定の条件が揃うと空気の流れが逆に振動が増大させる作用となり翼の破壊に至る現象)を起こし、巨大な尾翼が引きちぎられる過程で4系統ある油圧装置が全滅し、操縦不能に至ったのだと思う。
しかしそれを認めてしまうと、世界中に飛ぶジャンボ機の構造的欠陥と見なされてしまうので、ボーイング社と米国政府の意向で、事故機固有の修理ミスが原因でしたというある種の政治決着が図られたのではなかろうか。時の総理はロンヤス外交で知れた中曽根康弘で、折も折、日米貿易摩擦解消の一環としてボーイング747型機2機を政府専用機として買い入れる方針でいたのだから、何らかの隠蔽があったとすればこの点に尽きる気がするし、事故調の報告が不自然なのも納得がゆく。
真相がどうであれ、関係するすべての人達が、謙虚な気持ちで空の安全を守ってゆくことを願って…
新潮社
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