僕がインターネットに接するようになった学生の頃、オン・ザ・エッヂの名前は知られていたし、かわいいイラストやアイコンをフリーウェアとして公開していたウェブデザイナー有馬あきこはある種の有名人だった。彼女のコラムに時折出てきた「社長」が実は当時のカレシ・堀江貴文その人とは知らなかったんだけど…
堀江社長ほか経営幹部らが逮捕されライブドアが上場廃止に追い込まれたいわゆるライブドア事件の後、大手企業での粉飾決算が幾つか発覚し、同じように経営陣が逮捕される事態になったが、いずれも実刑を受けるには至らなかった。そのことをもって、ライブドア事件は一種の国策捜査で、新興ビジネス勢力である堀江社長を潰すために仕組まれたものだ、他の粉飾会社が上場廃止にもならずトップが実刑を受けないのはおかしい、という類いの意見がいくつか見られた。
それはある程度事実なのかも知れないが、僕が思うに、それらの粉飾とライブドアが唯一違う、そして検察側に付け入るスキを与えてしまった点は、堀江社長が会社の筆頭株主だったということではなかろうか。
日本は良くも悪しくも浪花節というか、法律よりも利害関係者の納得がモノを言うことの多い社会だと思うけど、経営陣が訴追された場合、会社の業績や体面を守るために不正をはたらいた、という点を強調すれば罪が軽くなる傾向があるように思う。犯罪を犯しはしたが、経営者個人が何も利益を得ていないから大目に見られるということなのだろう。それが法律の運用として正しいのかは議論が残るかもしれないが。
翻って堀江社長は、ライブドアの最高経営責任者でかつ同社の筆頭株主だった。ライブドアの株価は、株式交換によるM&Aで拡大を繰り返してきた同社の戦略に影響を与える(現金で相手の会社を買うのではなく、ライブドア株を元手に相手の会社の株式と経営権を手に入れるのだから、ライブドア株に価値がなくては成り立たない)のみでなく、堀江社長個人の資産の多寡にも直結するものだったといえまいか。
すなわち、ライブドアの粉飾決算というのは、堀江氏が持っている株式の価値を守るために、意地の悪い言い方をすれば、株券という名の紙切れの価値を不当に高めて市場で取引させることで、自分の懐を暖めてきたんでしょ? と突っ込まれたら、有効な反論が見出せない気がするのだ。事実、堀江社長は強制捜査が入る半年ほど前の2005年7月にまとまった量のライブドア株を売却し、約142億円の現金を手に入れている。
株式市場の信用力をもって、価値を粉飾した自社株で市場から資金を調達し、あまつさえその株式で他社を買収してきたような会社の株式が上場廃止と判断されるのは決しておかしいとは思えず、そして、堀江社長自身が意識していたか否かに関わらず、上場会社のトップであり筆頭株主である以上は、相応の責任を負うよう司法は判断したということなのだろうと僕は思っている。
その一方で、会計士の資格を持っていたライブドアの元役員は逮捕後「すべて堀江の指示」との主張をしつつ、裁判の過程で会社の資金を自分の口座に入れてフェラーリを現金一括で購入していた(れっきとした業務上横領)ことが判明し、しかもその横領では立件されなかった奇怪な経緯もあり、当局に拠る法律の恣意的な運用がなかったかという点についてはなお議論を残すだろう。
また、事件当時のメディアの報道では、ライブドアがしきりに虚業であると喧伝されていたが、堀江社長の逮捕後も倒産することはなく、その後身であるLINEは若者には必須のツールとなり爆発的な普及を見せている。それに対して、当時ライブドアが買収を試みたフジテレビは、現在では新興企業が買収したくなるだけの魅力を備えているかどうか…
僕が社会人になった2000年頃から放送と通信の融合する時代がくると言われて久しいのに、実際に融合が進まないのは、やはり誰もが既得権益を手放したり、今儲かっている、今旨みのあるものを変えたりはしたくないからだろう。それはそうだ、もしも僕がそんな立場にあったら他人にみすみすケーキの分け前をやったりしない。それを変えるには一種の電気ショック的な変革が必要なのだろうと思う。歴史にifはないけれど、あの時ライブドアなり他の新興勢力がフジテレビを買収していたならば、日本のメディアを巡る勢力図がどう変わっていただろうかと時々考えてしまう。
ともあれ、あれだけのムーブメントを起こした堀江社長が次に打って出る事柄は何なのか、刑期を満了したいま、否が応でも気になってくる。