元F1レーサーのハインツ=ハラルド・フレンツェンがレース活動からの引退を表明しました。

Article from: F1通信

フレンツェンといえば、1990年にミハエル・シューマッハカール・ヴェンドリンガーと共にメルセデス・ベンツのワークスチームからスポーツプロトタイプカー選手権に参戦して非凡な才能を発揮しつつも、F1への道を急ぐ余り自らメルセデスを離脱した後は泣かず飛ばずとなってしまい、この間シューマッハにカノジョを奪われるという大映テレビドラマ顔負けの修羅場を経験してきました。
1992年半ば、日本で活躍していた同郷のフォルカー・バイドラーが耳の障害で引退を余儀なくされたことから後任に推薦され、参戦した全日本F3000選手権で時折驚異的な速さを披露。かの星野一義に「お前はこんなところにくすぶってないで早くF1に行け!」と言わせた挿話もあります。そのフレンツェン、1993年末にかつての師匠でF1に進出していたペーター・ザウバーからテストの誘いを受ける。初めてのセミ・オートマチックギアを当たり前のように使いこなしてチームを驚愕させるが、本人は「東京のゲーセンでバーチャ・レーシングで遊びまくってたから余裕だった」とコメント。
その実力が認められF1デビューとなった1994年開幕戦でいきなりチームメイトを出し抜いて、セナ、シューマッハ、アレジ、ヒルに次ぐ予選5位を獲得して注目を浴びるが、シューマッハは「何だ、もっと上に来ると思ったのに」と呟いたと言われ、シューマッハはチームとの契約書に「フレンツェンをチームメイトにしないこと」という一文を必ず入れさせたほど、彼の速さと才能に怯え続けていたとも言われています。
F1でも運とタイミングに恵まれず、タイトル獲得はおろかキャリア終盤は下位チームを渡り歩く場面もありましたが、アクの強いF1界では珍しく、速さと人格とが両立したナイス・ガイとして知られていました。
才能に恵まれながら結果が伴わなかったことが悔やまれますが、これまでお疲れさまでした。

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