(中高時代の恩師に依頼されて書いた文書をnoteでも公開することにしました。各話1,200字/全7回)
さて、●●先生も、他の先生方も、親御さんも、そして僕自身も、自分の経験から色々なことを話します。
【続きはnoteで】
a Division of Clichés.net Nobutaka Mizuno's Diary
(中高時代の恩師に依頼されて書いた文書をnoteでも公開することにしました。各話1,200字/全7回)
さて、●●先生も、他の先生方も、親御さんも、そして僕自身も、自分の経験から色々なことを話します。
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昭和62年11月21日、三宅島噴火。
溶岩がどんどん流れ出て、役場のある元町に近づいていた。溶岩が海に到達すると、激しい水蒸気爆発が起きて多くの島民の命に関わる。政府の指示で、全島民が船で避難することとなった。
自衛艦のほか、南極に向かっていた観測船「しらせ」も救援に向かったのだが、実はこの全島民避難は、何の根拠法もないまま官邸(中曽根康弘総理、後藤田正晴官房長官、佐々淳行内閣安全保障室長)が勝手に決めたこと。東京都ほか所轄官庁を飛び越えた上に、国民の権利を不当に制限する憲法違反と言われても仕方のない措置だった。
この時、中曽根総理が言ったとされる言葉:
「私が全責任を持つ。佐々安保室長、やれ。」
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