高校のカリキュラムは生徒の志望に沿って選べるようになっていて、僕は文系3科目(国語、日本史、フランス語)に絞って、苦手の理数系からは早々に逃げおおせていた。

a Division of Clichés.net Nobutaka Mizuno's Diary
高校のカリキュラムは生徒の志望に沿って選べるようになっていて、僕は文系3科目(国語、日本史、フランス語)に絞って、苦手の理数系からは早々に逃げおおせていた。
僕が上智大学を志望した理由は、フランス語だった。
平成7年1月、成人の日の連休に開催されたセンター試験から僕の大学受験は始まった。
旧知だった菅直人議員が総理になり、請われて内閣広報室審議官となった筆者。が、平成23年3月11日、総理が外国人(在日韓国人)から献金を受けていた事実を朝日新聞が朝刊の1面に報じていた。数日前、同じく在日韓国人からの献金で前原外相が辞任したばかりで、首相の進退きわまるかと思われた矢先、
「これから、どういう手を打ちますかね」 と深刻な顔で話していた、ちょうどその時、午後二時四十六分。
官邸が、大きく揺れた。
昭和62年11月21日、三宅島噴火。
溶岩がどんどん流れ出て、役場のある元町に近づいていた。溶岩が海に到達すると、激しい水蒸気爆発が起きて多くの島民の命に関わる。政府の指示で、全島民が船で避難することとなった。
自衛艦のほか、南極に向かっていた観測船「しらせ」も救援に向かったのだが、実はこの全島民避難は、何の根拠法もないまま官邸(中曽根康弘総理、後藤田正晴官房長官、佐々淳行内閣安全保障室長)が勝手に決めたこと。東京都ほか所轄官庁を飛び越えた上に、国民の権利を不当に制限する憲法違反と言われても仕方のない措置だった。
この時、中曽根総理が言ったとされる言葉:
「私が全責任を持つ。佐々安保室長、やれ。」
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