朝から淡々と仕事。午後、部内で会議が催され、今後の仕事の進め方について意見を言い合う。夜21時には帰宅。
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山手線
昨日の都営線の混雑を警戒して、徒歩時間が長くなることを承知で東京駅まで歩いてJRで出勤。果たして山手線はガラ空きで難なく出社。午後、部内で今後の方針を協議する。夜20時頃帰宅して、息子を風呂に入れる。
平成の玉音放送
天皇陛下がビデオメッセージを渙発されるのは、2671年の歴史上初めてのことです。
メッセージ全文:
この度の東北地方太平洋沖地震は、マグニチュード9・0という例を見ない規模の巨大地震であり、被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。地震や津波による死者の数は日を追って増加し、犠牲者が何人になるのかも分かりません。一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。また、現在、原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ、関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。
現在、国を挙げての救援活動が進められていますが、厳しい寒さの中で、多くの人々が、食糧、飲料水、燃料などの不足により、極めて苦しい避難生活を余儀なくされています。その速やかな救済のために全力を挙げることにより、被災者の状況が少しでも好転し、人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません。そして、何にも増して、この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。
自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体の人々、諸外国から救援のために来日した人々、国内の様々な救援組織に属する人々が、余震の続く危険な状況の中で、日夜救援活動を進めている努力に感謝し、その労を深くねぎらいたく思います。
今回、世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き、その多くに各国国民の気持ちが被災者と共にあるとの言葉が添えられていました。これを被災地の人々にお伝えします。
海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が、取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。
被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。
通勤地獄
朝、いつもより早めに出て息子を保育園に預けた後、都営浅草線に乗ろうとすると、とんでもない混雑に巻き込まれる。葛西に住んでいた頃の東西線でさえ、ここまでの混雑ではなかった。ともかくも出社するが、上長が体調を崩し休んでいるほか、電車が止まってそもそも出社できない同僚もあり、会社が妙に静か。夕方、突然お使いを命ぜられて、未だ通常運転とはほど遠いJRに乗って新橋まで駆け回る。夜、恩師からメールが届き、最終講義を取りやめることになったとの連絡を受ける。早速周囲に伝える。20時前に帰宅。
出張中止・自宅待機
30分も寝られないまま妻が起きてくる。本当に出張に行くことになるのか、半信半疑のまま準備を進める。テレビを見ると、成田エクスプレスやスカイライナーは運休しており、空港に向かう一番確実な手段は箱崎からのリムジンバスということになる。情報が錯綜していてよく分からないので、徒歩圏内の箱崎まで行ってみるほかないと思っていると上司から電話が入り、出張中止・自宅待機を命じられる。拍子抜けしてしまうが、ともかくも安心する。あずさ号で帰ろうとしていた義姉の帰宅手段を確保すべく、高速バスのウェブサイトからチケットを予約する。まだそれほど混んでいないらしく、易々と座席を確保。休みになったので、日本橋まで自転車に乗って行き、三越で堂島ロールと食パンを買う。三越の向かいにあるスギ薬局に、カロリーメイトやカップ麺が入荷していたので買い込んでおく。昼食後、義姉を連れて新宿へ。いつもならば地下鉄で行くのだが、運転が不確かなのと、万一途中で止まっても地上の方が気分が良いという理由で東京駅から中央線を選ぶ。駅構内のエスカレータは節電で止めているという話だったが、中央線のホームは流石に高いところにあるので動いている。中央線快速は全列車が立川止まりになっているとのことだが、さほど混雑しておらず、トラブルもなく新宿に到着。西口のバスターミナルに行くと、バスは定刻通り運行していることが分かり、40分以上の待ち時間が出来たので、スタバで一服する。義姉を無事見送ってから、同じようにJRで帰ろうとすると今度はなかなか電車が来ない。途中何度か時間調整があって、帰宅が遅くなる。夜、息子をあやして風呂に入れて寝かしつける。
通院
朝、9時過ぎに息子を病院に連れて行く。マンションのエレベータは復旧している。バスは通常通り運行しており、とりあえず街は平静。帰宅後、昼食をとり、流石に眠いので横になる。3時間ほど寝て気分が良くなる。夜、息子を風呂に入れて寝かしつける。夜、今週分の「てっぱん」を見ておく。流石に今朝の放送は中止になったので、クライマックスが途切れてしまうが致し方ない。
大地震
朝、8時前に出社。恒例の週1回の会議に出席。月曜日からの出張について報告。デスクに戻り、出張の詳細を社内外と調整。昼食後、打ち合わせをしようと思って椅子から立ち上がろうとすると、突如オフィスが揺れ始める。並の揺れではない。机の下の潜る。まだまだ揺れる、ようやく揺れが収まり始めて窓の外を眺めると、向かいのビルがユラユラとしなっている。生まれて初めてみる光景に息を呑む。テレビをつけると東北地方が震源であることが分かる。何度か強い余震を経るが、エレベータも停まってしまっており、身動きが取れない。携帯電話が全く通じないので、妻や親兄弟にPCのメールに自分の無事を知らせるメッセージを送る。鉄道も全て停止。首都高速が封鎖されてガラ空きになる一方で、一般道路がみるみるうちに渋滞してくるのが見える。ともかくも仕事をこなす。陽が暮れた後、家の固定電話にかけたところ、帰宅した妻とようやく連絡が取れる。家の中はメチャクチャだが妻も息子も無事と聞いて安心する。来週の出張について打ち合わせ。22時を回る頃、社内の非常食が配布される。味のない乾パンだが、お腹には溜まる。話し合いが深夜にまで及び、帰宅手段を失って会社で眠る同僚たちと別れて25時過ぎに会社を出る。街中は深夜とは思えない賑わいを見せているが、コンビニの陳列棚からは食べ物が消え失せている。1時間以上歩いてようやく自宅の近所へ。ローソンでちょうど「手作り弁当」が出来上がっており、妻への土産に買う。自宅マンションのエレベータが停まってしまっているので、やむなく10階まで階段を駆け上がる。家の中は、食器棚が動いて皿が幾つか割れてしまったり、書棚が転倒していたり、iMacが机からずりおちてしまってはいたが、テレビは倒れておらず、思っていたよりも大きな被害がなく安心する。帰ったら起こしてくれと言われていたので眠っていた妻を起こし、ともかくも家族の無事に安堵する。妻に弁当を食べさせ、部屋の片付けを始める。結局一睡もせず朝になる。
大地震(無事です)
僕は無事です。取り急ぎ。
追記(21:34):
家内と子供も無事でした。ただし、家の中は酷い状況のようです(僕は未だ会社)。
両親も兄夫婦も無事です。