Category: Diary
Tokyo Drive
朝9時前に起きる。洗濯をして、クリーニング屋に寄ってから高速に乗る。高速道路は至って順調で、新習志野の「東京インテリア」にたちまち到着。ソファーテーブルとラグを買いたくて、あちこち探しているのだが、今回も購入決断には至らず。ただ、今回はリビングルームに良さそうなライトがあったのが収穫。湾岸道路沿いにみつけた「ステーキのどん」で昼食。15時頃実家に向かい、ずっと使わせてもらっていたダイニングテーブルを返す。ゆくゆくは元の自室に据えつけられてサービスルームに変貌するらしい。そして、昨日クルマに積み切れなかった自室のガラクタをクルマに運ぶ。夕方、葛西に出かけて、島忠ホームズで買い物。パソコンデスク用の下に敷くカーペットを仕入れる。一旦自宅に戻り、ガラクタを引き揚げる。20時過ぎにようやく実家へクルマを返し、スープカレーの夕食。日比谷線で帰宅。
Old Friend
ちょっとした頼まれ事をしたので、およそ3年ぶりに大学時代の若い友人に会う。3年ぶりとはいっても、前回はバッタリ出くわして名刺を貰っただけだったので、実質的には卒業以来6年ぶりということになる。お互い変わっているようで変わっていないような気もする。限られた時間ではあったがあれこれ話す。気の置けない他人というのは時として大事なものだと改めて気づく。日付が変わる頃就寝。
靖国神社公式参拝
昼過ぎに家を出て飯田橋へ。ラムラのぼでじゅうで昼食の後、慣れ親しんだ道を通って靖国神社へ。そういえば昨年も同じルートを歩いた。靖国の桜はまだ咲き乱れる程ではないが、それだけに無粋な花見客も少なくゆっくり散策する。ところどころに、戦友同士で植えた桜があり、部隊の名前と連絡先の書かれた札が下がっている。本殿に参拝しようとすると物凄い行列で警備員が整列を促している。偶々花見ついでに来た方が大半なのかも知れないが、並んでいると、「いいかい。この神社ではお願い事をしちゃいけないんだよ。日本のために戦ってくれてありがとう、ありがとうってお祈りするんだよ」と、近くで諭す声が聞こえる。こういう人だかりや、国民ひとりひとりの声は、テレビではあまり放映されないのだろうと思う。参拝後、遊就館を見学。昨年は1階部分の零戦しか見なかったのだが、今回は全体を見て回る。かねて見たいと思っていた阿南大将の血染めの遺書は、保存のためか原寸大写真のみが展示されていたが、「一死、以テ大罪ヲ謝シ奉ル 陸軍大臣 阿南惟幾 神州不滅ヲ確信シツツ」の文字は力強く、いささかの乱れもない。また、別紙にしたためられた辞世の句「大君ノ深キ惠ニ浴ミシ身ハ言ヒ遺スへキ片言モナシ 陸軍大将 惟幾」の署名が先の遺書とは異なっている。これは、半藤一利の説によれば、遺書には陸軍を代表して本土決戦を主張し、和平を望む天皇陛下に背いたその責任を明確にするために、職名とフルネームを記し、一方で、侍従武官を務め陛下からの信任の厚かった阿南個人は、その忠誠心にいささかも揺るぎがないことを表明するために、かつて陛下と2人きりでのお食事を賜った栄誉に感激して詠んだ歌を辞世とし、一軍人、一臣下として階級とファーストネームだけを記した、という。最近の歴史書の一部には、阿南を頑迷な徹底抗戦論者と見立てる記述もあると聞くが、実際に抗戦したければ、軍部大臣現役武官制の当時、阿南自身が辞表を出してしまえばそれで鈴木貫太郎内閣は瓦解し、思うがままになっていた筈なのである。それを敢えてせず、徹底抗戦の決起を促す若手将校を抑えつつ、ポツダム宣言受諾の詔書に淡々と副署して、それであの2種類の遺書をしっかり書き残して腹を切るというのは、よほどの深慮なしに出来ることではあるまい。神社を出た後、旧日債銀の跡地に出来た北の丸スクエアにあるスターバックスで小休止。帰宅後、また仕事の続きに取り掛かる。いつものように「功名が辻」を見て、また仕事。0時過ぎに眠る。
君とパスタの日々
正午に起床。14時前に門前仲町に向かい昼食と買い物。地元名物の深川めしを食べようと思っていたのだが、ランチタイムを過ぎており店が閉じてしまっていたので方針転換してスパゲッティにする。初めて入るパスタ屋だが、店員の態度がお世辞にも良いとは言えず、パスタのソースもやけに塩辛い。帰宅後、部屋を片付けつつ仕事を進める。25時前に就寝。
Hardly Work
昨晩あまり寝ていないので身体がだるい。しかもカラオケの影響でか喉がおかしい。フラフラになりつつも、何とか仕事を進める。日付が変わる前に帰宅。

