「セナが!セナが!セナが何と!ウォールにクラッシュ!またか!またか!またもクラッシュ!破片が飛び散っているっ!」
「うぉぁぁぁ…」
「アイルトン・セナに何が起こったんだっ!大波乱のサンマリノ!アイルトン・セナにもイモラは牙をむきましたっ!」


1994年、かねてファンだったアラン・プロストの引退後、最強チームのウィリアムズに移籍したセナがぶっちぎりのシーズンになってしまうのだろうと思っていたのですが、案に反して開幕からミハエル・シューマッハが2連勝してセナは2戦連続リタイアという戦況になっていました。
5月1日、翌日の遠足を控えて早く寝ようと思っていた僕の眼に飛び込んできたのは、セナがクラッシュして病院に運ばれたというスポーツニュースの速報でした。テレビ局が通常の番組編成を変えてまで速報を流すことが、一種の緊急事態であることは高校3年生だった僕にも薄々伝わってきました…
セナの死後、いわゆる関連本が山のように売り出されましたが、いくつか印象に残ったものを紹介したいと思います。
『セナを殺した男たち』(ジョー・ホンダ・著)、『複合事故』(フランコ=パナリッティ・著)によると、セナはウィリアムズ移籍以前から明らかに性格に変化が見られたこと、そして夢に見た最強マシンを擁するウィリアムズのチーム体制に疑問を抱いていたことが仄めかされています。日本では王子様のように扱われていたセナも、欧州のエスタブリッシュメントが支配するF1の世界においては、いつまでもアウトサイダー、エイリアンに過ぎなかったことが如実に描かれていて興味を惹きました。
『セナと日本人』(金子浩久・著)によると、あの悪夢の翌日、イモラの病院で片山右京選手に間違えられた日本人ジャーナリストが遺体安置室に招かれてセナの亡骸と対面するという超弩級の体験をした挿話が綴られています。当時、発表していれば大スクープになっていた筈のこの一件は、なぜ伏せられていたのか。そのほか、セナを取り巻く日本人たち(ブラジル移民一世の農夫まで登場)一人一人の想いが描かれている佳作です。
『レーサーの死』(黒井尚志・著)によると、セナは事故の衝撃で脳の一部が口腔内に飛び出していたこと(事実上の即死)が明かされています。セナの事故だけを取り上げた本ではありませんが、事故直後のフジテレビ中継の舞台裏や、同じレースの予選中にやはり亡くなったローランド・ラッツェンバーガーにまつわる挿話も掲載されており、この一章のためにだけでも買う価値はあると思っています。
おしまいに、グランプリ・ドクターの異名をもつシド・ワトキンス博士の自伝“Life at the Limit”を紹介します。あのサンマリノGPの予選中にクラッシュして収容先の病院で死亡したラッツェンバーガーが実は即死であり、レースの商業的な催行に影響する「コース上での死亡」を隠すために人為的に蘇生を施しただけであったことを著者がセナにだけ明かし、引退を迫る場面があります。しかし、セナの答えは

“Sid, there are certain things over which we have no control. I cannot quit, I have to go on.”

これは、著者がセナから聴いた生涯最後の言葉となりました…