後日譚の続き。上智大学の二次試験で奇妙な圧迫面接を受けた理由は長く謎だった。
Tag: 平成7年
«1995» (13)
僕が上智大学に行くと決めて暫くした頃、高校の保護者会で……
«1995» (11)
近年、受験の合格発表がスマホで完結することを知ったけれど、平成7年当時、携帯電話は通話しかできず、かつ誰もが持つレベルには至っていなかった。
«1995» (10)
上智大学の面接を終えた後、記憶がやや曖昧ながら、慶応大学法学部の二次面接と、同大学の商学部を受験している。
«1995» (9)
田中先生は書類をめくると、
「あっ、水野クンは法学部をふたつ受けているのね」
«1995» (8)
教室に入ると、事前に聞いていた通り面接官が2名いた。
«1995» (7)
ディクテーションが終わると、面接の時間になった。
«1995» (6)
上智大学外国語学部の二次試験は、平成7年2月15日に行われた。
«1995» (5)
外国語学部の一次試験の合格発表は、同じく上智大学を受験しに来ていた級友たちと一緒に見に行った。
«1995» (4)
上智大学の受験は、フランス語とドイツ語の試験だけ初日にあった。寒いけれど、雲のない快晴の青空だったのを覚えている。