ある友人が着物を纏っていたら「どうして?」と聞かれ、帰国子女でもないのに上手に英語を喋ると「どうして?」と聞かれ、まともに説明したらしたで相手は関心を示さす、「どうして?」は純粋な好奇心ではなく、ある種の刺々しさが込められていることが分かって嫌な気持ちになる、という話を聞いた。
確かにそういう人種っていると思う。
大学に入りたての頃に経験した、ホメロスのオデュッセイアさながらの体験の一部は自分のウェブサイトで公開しているけど、思い返してみるとあんなもんじゃなかったなという気がしてくる。
フランス語既習者は2年のクラスに編入させられる慣例があり、そのクラスに入ってみると、授業は眠たいほど簡単な内容なのでスラスラと回答し、間接話法の小テストでは、教授の出題ミスがあったのでそれを憚らず指摘していたものだったけれど、そんなことをしていると
「どうしてそんなにフランス語ができるの?」
と言われる。そりゃ大学入る前に12年間やってるからなぁ。
ここで白洲次郎みたいに「キミももっと勉強すれば僕くらいになれるさ」(*)などと答える勇気はないし。
1995年当時、携帯電話ってまだそんなに普及してなかったんだけど僕は安く手に入れたんで持っていて、うっかり授業中鳴らしてしまったら(当時はマナーモードなる先進機能はついていなかった)
「どうしてケータイなんて持ってるの?」
と問い詰められる。そりゃ必要だから持ってるんだけど。
別の日に、当時付き合ってた子から1限の前に電話がかかってきて教室で話していたら、居合わせた2年生の女性に見られて、
「ミズノはママから電話がかかってきて話していた」
とデマを言いふらされていたことを後で人づてに知った。実家から通ってるのに学校に来て早々親と電話するかよバカ女即死しろと今でも思ってる。
実用フランス語検定試験(仏検)3級というのは、大学で専門課程を習い始めた人が2年次終了時点で取ることが目安とされていた(今はどうなっているか知りません)んだけど、春・秋の年2回の受験のうち、早々に春季(2年目の5月)で受かった人たちが、そのことをもって「自分たちはフランス語ができる」的な話を教室でしていた。そのお姉さま集団のひとりに
「そういえばミズノ君って何級なのよ?」
と訊かれ
「あ? 準1級ッスけど」
正直に答えたら、もうその方は口をきいてくれなかった…
つまるところ、自分の持っていないものを他人、それも自分の同等以下と思い込んでいる相手が持っていることが許せないんだよね、こういう人種って。
だから、何が何でも相手を変異体のように扱わないと気がすまなくなる。
まして、
「アタシは人と違うおしゃれなおフランス語学科なのよ!特別なのよ!」
と思っているところに、高校上がりのガキが現れて自分のプライドを木っ端微塵にするどころか、時として教授の間違いまで指摘するに及んでは、憤懣やるかたなくなる気持ちは分からなくもない。
そういえば、あの頃僕はふだんメガネをかけていて、あの年にコンタクトレンズをはじめて使ってみたら、教室で
「あ… ミズノくんってメガネ取るとカッコイイ人だったんだ」
という、当人は褒めたつもりなのかも知れないけど、僕にしてみれば屈辱的な科白をのたまったのもいましたっけ死ねばいいのに。
あの頃、ワタシかわいいのよ美人なのよオーラを盛んに発していたフラ語女子たちは、自分が特別で人と違うと思い込んでいる限り、人に何を言おうが、どんな態度だろうが構わない、むしろそれが当然とでも思っていたんだろうけど、あれから20年以上たって、名実ともにタダのおばさんになった今、どこで何をしているんだろう。
実のところあまり関心は湧かないけど(僕はかわゆい女の子にしか関心がありませんから)、プライドに比例して積み上がった暖簾代の減損は大変だろうなという同情の気持ちは残る。それは同情じゃなくて怖いもの見たさだろ、と言われれば否定はしないけれど。
不思議なのは、同期の女子にはここまでプライドが肥大した人種は皆無だったことで、歳がひとつ離れているだけで、ここまで違うものなのかと驚いたことも覚えている。
後に付き合うことになった今の妻も、他大学でフランス語を学ぶ1つ上だったので、余計にあの学年のあのクラスがどれだけ異様だったかを思い知りもしたんだけれども。いやはや。
(*) ケンブリッジ大学出身の白洲が、GHQの米国人将校に「シラスさんは英語が上手ですね」と言われた際、この科白を言い放ったとされる
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