(承前)
「阿南惟幾大将を陸軍大臣として頂きたい」
海軍出身の老宰相が真っ先に陸軍へ仁義を切りにきたことを、陸軍幹部たちは概ね好印象を持って受け入れた。そして、別室に控えていた阿南が鈴木と対面する。


鈴木貫太郎は、日清・日露戦争で武名を轟かせ、海軍軍令部長(後の軍令部総長)にまで登りつめた後、1929年(昭和4年)に予備役編入となった。この際、元老山県有朋の強い推薦と、天皇ご自身のご意向もあり侍従長に就任した。
そして、その半年後、阿南惟幾陸軍中佐が侍従武官として宮城に入り、2人は同じ釜の飯を食べることになるのである。
宮中にあった間、2人は互いに深い尊敬を抱きあう関係になった。阿南中佐は鈴木侍従長の老躯に肝の太さを見抜き「並の提督ではない。大提督だ」と周囲に語り、鈴木もまた阿南の生真面目な性格、陛下に対する忠誠ぶりを目にして、「近頃は陸軍にも立派な方がいる」と家族に語っていたとされる。2人が一致していたのは、「軍人ハ政治ニ関ハラズ」という軍人勅諭の教えに忠実であることであった。
軍人勅諭に忠実であった筈の鈴木大将が、陛下直々に「頼む」と言われて総理大臣に就任した。鈴木は何を頼まれたというのか。
そして、その鈴木が、自分に陸軍大臣になってくれと言ってきた。陛下の意を体した鈴木内閣に、自分は何のために入閣するというのか。
この日、2人の間で交わされた言葉について、記録された資料は残っていない。
(つづく)

天皇と侍従長
天皇と侍従長

posted with amazlet on 06.09.26
岸田 英夫
朝日新聞社 (1986/03)