昔の友達について妙な悪口が広まったことがある。
が、僕なりに調べてみたらその根拠となる事象自体が疑わしく、結局、特定の同級生が言いふらしてることだけは分かった。
僕は偶々、情報ソースが複数あり自分で確かめたから真相に近づけたと思ってるけど、内部事情に詳しい筋から漏れてくる話って、我々はろくに確かめもせず真実として受け入れていないか。実際には内情に通じてるからこそ、話を歪曲し他人を貶めるのはむしろ容易なんじゃないか。
それでも、何でそんなことするの?という動機はよく分からない。
ひとつ想像できるのは、人間の歪んだ劣等感は、他人に追いつくよりも引きずり下ろそうとするんじゃないかってこと。
学生時代、僕が今の妻と付き合い始めた頃、同じサークルの男が
「お前のカノジョって実在するのか」
真顔で訊いてきた。僕は唖然としつつ2人の写真を見せたら
「フォトショップで合成したんじゃないか」
とのたまったのには全く理解に苦しんだ。
今にして思えば、自分と同等以上ではない筈(?)のミズノに恋人が出来、自分は生まれてから当たりもカスリもしない現実を受け入れられなかったのだろう。プライドや自己愛を満たすには、自分が恋人をつくる為に努力するより、他人の恋人が初めから存在しない方が、手間が省けて敗北感を抱かずに済むということではないか。
話を戻すと、友人のありもしない行状が噂として広く流布されたのは、そうした劣等感を糊塗し自己愛を満たす仕上げとして、自分一人の妄想ではなく、周囲の既成事実になっていなければならなかったのではないか。
秘密めいた噂話は「火のないところに煙は立たない」という人間の性善説の裏をかき「こういう話がある以上、それだけの問題を抱えた奴に違いない」という評価にさえなり得る。こうなれば、風説を流布する側にとってはしめたものだろう。
目の前の事実が不都合ならば、事実の方を変えてしまえばよいのだ。
人の世は怖い怖い。
【補遺】
この話、違う書き出しで以前一部を掲載していたことがあったんだけど、伝聞の恐ろしさを述べているにも関わらず、僕自身の体験ではない伝聞を基にした話を記してしまいました。これでは自分が見てもいないものに勝手に色を塗りたくって、僕自身が風説を流布しているも同然、ということに気づいて反省し、当初の文書は削除しました。ご指摘いただいた関係者には感謝します。
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