「司法に絶望しました。控訴、上告は望みません。早く被告を社会に出して、私の手の届くところに置いて欲しい。私がこの手で殺します。」
前代未聞の報復殺人宣言。
全国が凍りついた記者会見だった。
新潮社
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セックスがしたいという身勝手な欲望の為だけに住居に押し入り、罪のない23歳の女性の首を絞めて殺害して死後姦淫した上、泣きじゃくる生後 11ヶ月の赤ん坊を床に叩きつけて殺害 – 少年法に守られた犯人・福田孝行は世間に実名さえ公表されることもなく、無期懲役という名の実質7年の懲役でこの世に戻ってくる。そして、家族を人生を訳なくむちゃくちゃにされた被害者には、土砂降りさながらの取材が押し寄せ、勝手に実名を流されるばかりか親類までが好奇の視線に晒される…
第一審は、福田孝行被告を無期懲役に処するという、きわめて事務的な判決。それも、法廷に、殺害された妻と娘の遺影を法廷に持ち込もうとして、裁判所の職員に拒否された挙句、
「そんなことはオマエにはできない! ごじゃごじゃ吐かすな!」
などと暴言まで吐かれる。日本の官僚は優秀だ。犯罪被害者を守る、その権利を保護する条文が法律や法令にない以上、被害者に要らぬ配慮をすることは原理原則に背くことなのだ。
思い詰めた被害者の夫は、そして、先の会見に至る…
全てに絶望した真っ暗闇の状況にあっても、それでも、しかし、彼の回りには、確かなともしびをもたらしてくれる人たちがいた。
件の記者会見を終えた被害者の夫は、東京でのテレビ出演に応じる為、全日空機で羽田に向かう。と、客室乗務員に呼び止められる。
「山口の事件のご遺族の方ですよね。(中略)お昼、テレビを見ました。これはこの飛行機に乗っているスチュワーデス全員の気持ちです。こんなものしかありませんけど…… 。これはお守りです。がんばってください。」
事件の後、職場の上司に辞表を提出する被害者の夫。しかし上司は…
「この職場で働くのが嫌なのであれば、辞めてもいい。君は特別な経験をした。社会に対して訴えたいこともあるだろう。でも、君は社会人として発言していってくれ。労働も納税もしない人間がいくら社会へ訴えても、それは負け犬の遠吠えだ。君は、社会人たりなさい。」
辞表はのちにこの上司がビリビリに破くことになる。
そして、あの会見の当日、小渕恵三内閣総理大臣が囲み取材で異例の発言をする。
「無辜の被害者への法律的な救済が、このままでいいのか。本村さんの気持ちに政治家として応えなければならない」
一国の総理が、特定の個人名に言及することは世界でも珍しい。この直後、内閣が提出した”犯罪被害者保護法”は、異例の速さで国会を通過する。
そして、時は代わり小泉総理も、被害者の夫と直接面談に応じ、犯罪被害者の置かれている現状を直接聴取する。
「だめ!こりゃいかん!今すぐやろう!(中略)今すぐチームを立ち上げて。今すぐだ!」
“犯罪被害者等基本法”が超スピードで成立する。
こうした動きによって、これまで認められていなかった遺影の持ち込みや、公判での被害者遺族の陳述の機会が与えられるようになった。
あの日、被害者の夫が発した叫びは、確実にこの日本を動かしていた。
余り知られていないことかも知れないが、被害者の夫は重い腎臓疾患を抱えていた。
中学生の時に発症し、苦しい免疫抑制剤治療も経験して緩和はされたが、それでも症状が時々現れてしまう。それに、免疫抑制剤を使うと、子供は出来なくなるかもと医師に告げられていた。長生きが出来ないのならば、太く短く生きよう…
そう思っていた矢先に出会ったのが、妻だった。2人は愛し合い、いわゆるできちゃった結婚をする。子供は出来ないと思っていたのに、最愛の妻は娘を生んでくれた。
いつまた自分を襲うか分からない病気を抱える夫に、妻は明るくこう声を掛けたという。
「洋、一緒に生きよ」
僕は人生のある時から、泣くことを止めようと思ってきたのだが、この本を出張中の機内で読んでいて、涙が止まらなくなってしまった。
被害者たちは、早生まれだから学年は違うとはいえ僕と同い年。難病を抱えた夫。そして、幼い頃に両親が離婚して、決して平坦でない人生を歩んでいた妻。その2人がようやくにして得た幸せを、何処の誰が無残に破壊する権利や資格があったというのか。
犯人・福田孝行に当然の死刑判決が下されるまでの、とてつもなく困難な道のりを、克明に描いた一冊。
子供を持つようになったこの僕が、同じ立場に置かれたとしたならば、妻や子供の為に何が出来るというのか、残された自分がこれからも向き合わなければならない、かけがえのない者の不在をどう受け止めるというのか、何度も何度も考えてしまった。
出張から帰ると、妻も子供も元気に暮らしていた。
「日常の日々こそ奇跡 僕達が紡いでく奇跡 探すのは『特別』ではなく日常という名の目の前の奇跡」という、ついさっきiPodで聴いていたいきものがかりの歌の一節を、胸の中で反芻していた。
(※本書中、福田孝行被告の実名は明かされていません。僕自身の意見として、実名で述べていることをご了承ください)