オートバイレーサーのノリックこと阿部典史選手が、川崎市内で交通事故に遭い亡くなりました。


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記事によると、片側2車線道路の左側を走っていた4トントラックが、Uターン禁止の場所でいきなり転回を始めて道路を塞ぎ、後方を走っていた阿部選手が避けきれずに激突、道路の反対側まで跳ね飛ばされたノリックは、全身を強く打ち、折れた肋骨が動脈を傷つけたことが致命傷となり搬送先の病院で亡くなったとのことです。
阿部選手は16歳でオートバイレースにデビュー。18歳の時に、鈴鹿で開催された2輪の最高峰500ccクラス世界選手権に主催者推薦枠でホンダからスポット参戦し、当時のトップライダーであったシュワンツドゥーハンらをぶち抜き終盤までトップを疾走。結果はリタイアに終わるも、関係者に衝撃を与えました。その走りっぷりをウェイン=レイニー監督に見出され、シーズン中にヤマハ・ワークスへ異例の移籍。以降、国内外でトップライダーとしてあり続けました。
日本では、バイク=暴走族のイメージが強いせいか、2輪レーサーの知名度や評価がいま一つ高くない現実がありますが、阿部選手は世界的に著名であり、上記のレースも、F1で言えばデビュー戦でセナやプロストを抜いてしまうほどの快挙でした。イタリアのバレンティーノ=ロッシ選手(ロードレース世界選手権参戦以来11年間で7回の世界王座に輝いた最強ライダー)もノリックの大ファンとして知られ、典史(のりふみ)にちなんで自ら「ろっしふみ」と名乗っていたことさえありました。
世界選手権3勝のプロライダーが、あろうことか一般公道で巻き込まれた悲劇。この世の中に暮らす誰もが常に危険と隣り合わせに暮らしていることを、改めて思い知らされました。享年32。
合 掌

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