元F1レーサーの片山右京氏が、白血病に罹った17歳の少年を見舞う機会があった。レーサーを志望していたその少年に、右京氏は
「頑張れよ。絶対諦めるんじゃないぞ。」
と声をかけた。いわゆる月並みな励ましというものでしかないが、当時の彼にはそれしか出来なかったという。
2ヵ月後、少年のご母堂から電話があった。
「息子が……亡くなりました…」
少年はあの後、手術を受けることになり、激痛を伴う筈なのに泣き言を一切漏らすことがなかった。しかし、容態は好転せず、今わの際にこう言い遺したという。
「片山さんと約束したけど、僕は頑張れなかった。お母さん、代わりに謝っておいて…」
右京氏はそれを聞き、ハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けたという。何という無責任なことを言ってしまったのだろう、と。そして、悔やむと同時に、生きることの価値について考えさせられたと右京氏は言うが、今でもその結論は出ていないとも言う。
僕は、自分の妻を含め頑張り屋の人は大好きなのだが、「平気です」「大丈夫です」などと強がってみせる彼なり彼女が、果たして何のために頑張っているのか、その頑張りがどこに向かっているのか、については限りなく興味がある。
自分の意見、自分の考えを持つことは素晴らしいことには違いないが、それは所詮自分だけのローカルルールに過ぎず、その行き着く先が、ただ自分のためだけの自己満足に終わってしまうのでは、せっかくの頑張りが、自己に相対する他者に伝わらないのではないか、という印象を強く持っている。そして、強がって頑張った挙句に頑張ることの意味を見失って、自分に自信を失くしてしまってはならない、とも思う。
頑張って、息を切らせて、道に迷っている人に向かって、「頑張れ」と声を掛けるのはある意味でとても残酷なことなのだろうが、では、この僕には何が出来るのだろうか、そもそも自分は頑張っているだろうか、と考えてしまうことが間々ある。


負け、のち全開
負け、のち全開

posted with amazlet on 07.07.11
片山 右京
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